8歳のケータイ

2001年に、auが、ローミングできる機種のケータイを、他社に先駆けて売り出した。
この年、韓国へ語学留学することになり、同居家族(といっても父だけ)への、いわばホットラインとして、そのケータイを買った。自分が海外 (01年当時はローミング可能地域が韓国・中国・米国くらいに限られていたが) に滞在する間も、日本にいる時と同じ電話番号へかければ通じることが、日本に残る側にとって安心材料になろう、と思ったためだ。
CDMA方式を採用した機種の はしり でもあったから、若い人たちが、そのケータイを見ては「すごい機種持ってますねー」と感心してくれたものだった。


そうやって感心してもらえる時は、しかし、短かった。ケータイの「齢のとり方」の速さは、ドッグ・イヤーどころではないようだ。犬の1年が人間の5年に匹敵するなら、ケータイの1年はそのまた3〜4倍といったところか?
私のそのローミング機種は、使い続けて8年。最近は通話中に電波が途切れることが増えた。充電アダプターの接触も悪くなって、さすがに「寿命」が来たらしいと思われた。

そんな時、先述のとおり父が入院した。「完治する見込みなし」と告知されたから、海外滞在中にかけてくる家族はいなくなるわけだ。長期渡航中、友達とはパソコンメールでしかやりとりしないし、仕事上の事務連絡なら、むしろ、現地のプリペイド式ケータイをレンタルしたほうが便利だ。よって、このローミング機種の役目も終わったな、と思い、とうとう機種変更すべくauショップへ行った。

そして、どれを買うか決めかねているうちに、父が死亡した。危篤に陥ったことを遠くに住む親族に連絡するとき、また、今から医師が「臨終の宣告」をするという知らせをするとき、かの寿命が近いと思っていた8歳のケータイは、何の支障もなく働いてくれた。それまでしょっちゅう電波がとぎれていたのが、うそみたいに調子よく機能した。“新機種にバトンを渡すまで、最後の勤めを完璧にこなさねば”とでも思っているかのように…。

父の告別式を終え、翌日早くも初七日を営み、やっと多少ほっとして、そのケータイで電話をかけようとしたら、発信音が鳴り出してすぐにツーツーツーと、電波が途切れたことを表す音に変わってしまった。
葬儀の前後の数日で、力を使い果たしたように思えてならなかった。

おじいさんの古時計の歌ではないが、機械でも、長く愛用されると、自分が誰のために購入され、使われ続けてきたか、心得ているのではないかとさえ思えた。


それから約半月後、ついに新機種を買った。保存していたアドレスや電話番号などは、新旧のケータイを接続してコピーできるものと思っていたら、「前の機種が古すぎて、接続できません」と言われてしまった。おかげで、1件1件手で入力し直さねばならない。旧機体の中の希少金属を再利用してもらうため、すぐauに返すつもりだったが、そうも行かなくなってしまった。再入力時のミスに備えて、まだ当分は、このいじらしいケータイをアドレス帳として手元に置いておくことになった。
さて、今度は、「平均寿命」をはるかに超えて働いた旧ケータイが完全に用済みになってリサイクルに回されるのと、父の大本山への納骨、どちらが先だろうか。