やもめたちの死期

両親ともに鬼籍に入ると、自分のように無信心な輩(やから)でも、さすがに墓参する機会が多くなる。で、先日、先祖の墓の脇に建てられている霊標をなんとなく眺めていたら、面白いことに気づいた。

さきごろ亡くなった父は、妻(私の母)の死から12年をへだてて後を追った。
また、私の父方の祖父母は、女のほうが後に残るという多数派のパターンだったが、夫婦で、命日にやはり12年の開きがある。つまり、親子2代ともに、「13回忌」を出すはずの年に後を追っているわけだ。
そして、3代さかのぼると、曽祖父が死んで15年後に曽祖母が亡くなっているのだが、命日は12月24日であった。
ここからは想像だが、曾祖母は、亡くなる年の年末には、親戚や近所の人々から
「早いもんやなー、○○さんよ、あと何回か寝るとお正月。年が明けたら旦那さんの17回忌やで」
みたいなことを言われていたに違いないのだ。したがってカレンダー上の年号に拘らずに想像すると、父も、祖母も、曾祖母も、みな過去に見送った自分の配偶者の年忌が近づいてきたころに亡くなるというパターンを、忠実なまでに繰り返しているのだ。


そういえば「つれあいの年忌の年に、後に残ったほうが亡くなるのは、世間で珍しいことではない」と、先日誰かが言っていた。
それは、配偶者が自分を置いて逝き、四十九日で仏となり、1年、3年、7年、13年、17年…と、年忌ごとに、だんだん仏さんぶりが板について(?)いく。それに引き換え自分は残生を汚している…といったような寂しさが働いて、生への執着が弱まるということだろうか。言葉では表しにくいが、心理として解るような気がする。

ただ、父は、“自分も、そういう先祖たちのパターンを踏襲する形で死んでいくのだ”ということを闘病の床で認識していたのだろうか。これは私には全くわからない