夢の邯鄲

【邯鄲の夢】という故事成語がある。
邯鄲は地名である。河北省にある。

昔、趙の首都だったころの邯鄲で、一人の青年が、呂翁という道士(仙人)に会い、自分の行く末に希望が持てないことを嘆いた。呂翁道士は、夢で希望をかなえくれるという枕を貸してくれた。まるでドラえもんのようだが、本当は逆で、こういった説話の存在があってこそ、ドラえもんのようなSFが作られ、現在も人気を博しているというべきだろうが、それはさて置き。
青年が、そのミラクル枕を当てて、床に入った。その時、道士は黄梁という穀物を鍋に入れ、火にかけてこれから加熱調理するところだった。
道士の言に偽りはなく、青年は、山あり谷あり波乱万丈の一生を生きて、最後は成功し大往生する、という夢をみた。
それはリアルな夢で、実際に数十年を生きたようだった。
目覚めると、道士がさっきの黄梁の煮え具合をチェックしていた。それはまだ煮あがっておらず、堅いままで、夢を見ていたのがいかに短い時間だったかの証左だった。
…という寓話である。


栄枯盛衰など空しいものだ、とか、必要以上の欲望の実現に一生を費やすのはばかばかしい、といった意味合いで使われる故事成語だが、高校のとき国語(漢文)で習って以来、内容もさることながら、「かんたん」(中国語ではハンダンだが)という地名の響きが頭に残って、どんな所だろう、と気になっていた。
「邯鄲」という市が現存すると知り、当初の旅程にはなかったのだが、行ってみたくなった。ちょうど、太原から次の目的地・安遥へ行く途中に位置する。
地球の歩き方』にも載っていない。地図も手元になく、見所があるかどうかも皆目わからない。が、とにかく、太原から省際バスが1日1本走っており、鉄道も停車する列車が多いから、何かはあるだろうと期待をかけて向かった。

邯鄲に着いて、まず駅前の市バスの停留所で、市バスのルートを片っ端から調べる。6路のルートに「黄梁」という停留所があるのを見つけたときは思わず「やった」と快哉を叫んだ。地名からして故事ゆかりの場所に違いない。黄梁とやらまで行けば、呂翁先生の碑くらい建っているかもしれない、と6路に乗り込む。
黄梁では、地図を持った観光客風の男性も降りた。いよいよ、見るべき何かがあるのはまず確実だ、と嬉しくなる。
道を2度尋ねて、15分ほど歩いて着いたのが、↓の呂仙祠である。




▲呂翁を祀った道教寺院(道観)


▲呂祖殿の中.


▲展示は、中国のいろいろな古典に記された〈夢〉についての紹介が中心.



勘に頼って、いきなり計画もなしに来たわりには、一番見たい所に首尾よくたどり着けた。うれしい。まかり間違っても世界遺産になど登録されることのないマイナーな観光地だが、自分で見つけると宝物を掘り当てた気分がする。

私より先にここを訪れていた方がおられたら、お知らせいただきたい。



▲邯鄲の夢とは関係ないが、駅前の露天で熊の掌を売っていた

【ガイド】
北宋初期におかれた道観。主たる建物は明清代。
見学料大人20元
駅からのほか、バスターミナルから市バス17路。