飲酒運転者にはバランスのとれた罰を

飲酒運転で、また2人の人が殺された。しかも、また福岡県だ。被害者は10代の春秋多き若者だった。
容疑者の飯盛義朗(35)は車に乗る直前まで、3時間にわたって飲み屋で飲んでいたという。はねられた高校生は何十メートルか飛ばされて、道路わきの物に激突して死んだそうだ。並大抵のスピードではなかったことがわかる。

2001年、刑法に「危険運転致死傷罪」が導入されたが、その刑罰は「1年以上の有期懲役」だ。加重されれば最高30年もありうるとはいえ、傷害致死の場合の「3年以上の有期懲役」に比べてもまだ軽い。

飲酒運転といっても、悪質さにはいろいろなレベルがあろうが、例えば、運転者の周囲の人がハンドルを握るなと諭したのにどうしても聞き入れなかったケースとか、酒を提供する居酒屋の店員に対して「今夜は歩いて帰るから」などと嘘を言って酒を供させたケースとかは、それらの行為自体、明らかに、ハンドルを握れば正常な判断や車の制御ができなくなって高い危険性があると認識していた証左と言える。ひいては、もし他の車と衝突すれば相手方を傷つけ、それが歩行者であれば死なせることも十分ありうる(実際そういう事故は起こっていて、広く報道されている)と知っていたことになろう。したがって、充分、未必の故意による「殺人罪」が成立すると思うが、どうだろう。まして、それに無免許が重なった場合や、大幅な制限速度超過も犯していた場合などは、無期懲役や死刑の選択肢もあってよいと思うのだが。
秋葉原歩行者天国にトラックで突っ込んだ加藤智大容疑者に匹敵する悪質さではないだろうか。

もし、「飯盛には加藤ののような積極的な殺意がないから。」というのであれば、次のようなケース−−−例えば生まれたての乳児の親が、「自分がミルクをあげなかったら、この児が死ぬかもしれない」と知りつつ放置した場合、「殺意」がなくても成立する未必の故意の法理が、運転者には成立しないのならば、その理由を専門家にお聞きしたい。

重罰を課すことが、飲酒運転への抑止効果があるかないか、はこの際どうでもよい。

今回の飯盛容疑者のような件を殺人罪で立件できないのは法体系上のバランスを欠くと思えて仕方ないのだが。