朝鮮民族の価値観

もう8年も前の事になるが、2000年6月に南北首脳会談が平壌で行われた。これに至る経緯や、3日間の会談の詳細、その後についてのルポがある。崔源起・鄭昌鉉『朝鮮半島のいちばん長い日』(福田恵介訳 原題は“남북정상회담600일”)だ。原著が出たのが2000年。日本語版は02年に出たもので、遅ればせながら読んでみた。
その中に以下のようなくだりがある。 

    大=金大中大統領 正=金正日国防委員長

  大「(この次は)金正日委員長がソウルを訪問すべきです」
  正「私は行けませんよ。行けません」
  大「なぜ来られないとおっしゃるのですか」
  正「私は、いまの肩書きのままでは行けません。このまま行くと人民たちが嫌います」
  大「(略) あなたが来られないと言われるなら、誰が(南北の)和解と協力の政策を信じますか」
  正「いやいや、私は行けません。個人的には行きたいが、(略)いまの資格で行くとなるととても難しいのです」

人民が嫌うので行けない等とは、独裁者の言葉とは思えぬ言い訳だが、とにかく、金正日は何度も韓国訪問を固辞したらしい。そこで、大統領が

 大「金正日委員長はこれまで何度も自分たちが『東方礼儀之国』だとおっしゃったのに。私は金正日委員長より年をとっているではありませんか。年上の者があなたを訪ねてきたのに、無礼な話ではありませんか」

と、くいさがると、金正日はやっと、わかりました、と言って、
「他の者を1〜2回ほど(南へ)遣わして、その後、私が訪ねるとしましょう」
と折れたというのである。
この約束は、金正日死亡説さえ流れる現在に至るまで実現していないのだが、それはともかく、(本心からか否かは措くとして)「長幼の序」の論理を出されると、さしもの金正日でも、自分の主張を枉げなければならなくなるんだな、とちょっと面白かった。韓国人と付き合うときのヒントだと思う。誘われれば、いいですねー行きましょう、行きましょうと軽く請け負いながら、あまり実行しないという行動パターンも含めて。