筑紫哲也が逝った

闘病中だった筑紫哲也氏が7日に逝去した。
私は、“右手にゲバ棒、左手に『朝日ジャーナル』”(だっけ)といわれた全共闘世代よりは十歳ほど年下で、雑誌編集長のころの筑紫氏はあまり知らないのだが、「ニュース23」をほぼ欠かさず見てきたので、とても残念だ。
「23」放送開始直後は、「やはり先発のニュースステーション久米宏時代の)には勝てない」みたいな評され方をしていたが、やがて人気を伸ばし、報道系番組の中でも高く評価されていく。
たしか日本へ留学に来ている或る韓国人が、「ニュース番組に出ている人の中で、筑紫さんが一番雰囲気がいい」と言っていたのを思い出す。韓国のニュース番組には、アナウンサーや解説員はいるが、放送局員以外の人がアンカーを務める番組はないので、彼のような存在が新鮮だったのだろう。
「23」は速報性より、出来事の背景を重視した報道姿勢が評価されたのだと思う。「多事争論」では、単なる事件としてでなく、文明論の中で出来事を論じてもいた。筑紫氏とよく似た境遇にある鳥越俊太郎氏が「僕との違いは、筑紫さんには文化の香りがあること」と述べていたが、そういうこととも関連するかもしれない。
しかし、TBSが、サブリミナルな画像を予告なく番組の中に挿入し、事後にそのことを公にはしたのだが、強い批判を浴びたことがあった。その日の「23」での筑紫氏の発言は、私が知る限り、彼の発言中、最も煮え切らないものだった。詳細は記憶していないが、確か「実験そのものを否定するのはいかがなものか」といったような内容の発言だった。なんとか局を弁護しようとしつつ、やはり論に無理があった。組織ジャーナリズムという「枠」の中で、ずいぶん葛藤があったのだろうとは思うが、その時はいささか失望したことを覚えている。
また、TBSがオウム真理教に取材情報を流していたスキャンダルについて、「TBSが死んだ日」として、著書の中で深く反省(彼に直接の責任はないわけだが)している。
そういったこともあったにせよ、ジャーナリストとして生きた人の中でも、稀なほど「ウソ」の少なかった人物ではないかな、という気がする。ご冥福をお祈りします。