金賢姫のテレビ再登場

今週いちばんのニュースは、なんといっても、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)による拉致被害者田口八重子さんの兄・飯塚繁雄氏と、長男の耕一郎氏が、釜山において元工作員金賢姫と会った一件だろう。韓国側が面談のアレンジを考えているという報道が2月にあり、「実現は早くても春ごろ」とされていたことからして、相当な早期実現と言える。

今日、たまたま調べ物があって、図書館で『日本写真年鑑1989年版』(掲載対象は88年発生の出来事)を繰っていたら、その「国際ニュース」の章のトップが金賢姫逮捕の映像だった。当時25歳の金は、目を伏せて、苦悩ともみえる表情でカラーページの巻頭にいた。
金が実行犯役を任じ、115人が殺された大韓航空機爆破は、逮捕の前年の87年。そして、その隣合わせのページに載っている写真は、「南(韓国)だけによるソウル五輪開催は、分断の固定化」だとして抗議の声を上げるデモ学生が、火炎瓶の炎が体にうつって火だるまになった姿を撮ったもの。そう、88年はソウル五輪の年でもあった。
そして実はこれら“88年2大国際ニュース”は関連していて、金賢姫の犯行自体、五輪阻止を目的に金正日(当時は書記)が命じた事だった。開催国・韓国の信用を失墜させる意図である。が、その結びつきを、今われわれはすっかり忘れている。筆者も、この2枚の写真が並んでいるのを見るまでずっと忘れていた。そしてその五輪反対の意思は、北だけでなく、韓国の首都の真ん中で若者たちが表明していたのも事実なのだ。五輪主催国としての成功を誇りこそすれ、あれで分断がますます深まったといった論調は、現在では絶えて聞かない。既成事実とは強力なものだと、改めて思う。

それはそうと、金賢姫は、当初「蜂矢真由美」を名乗っていたくらいなので、朝鮮人とわからないほどの日本語をしゃべれるのかと思っていたが、発音に関しては結構、なまってたね。

この面会のニュース、おおむね、拉致被害者家族の長年の願いが叶ってよかったよかった、という報じられ方だったようだが、もし、あの爆破された大韓機に1人でも日本人乗客が乗っていたら、「何を殺人鬼がいい気なことを言っとる」「恩赦になっても、殺された遺族の悲しみは今も同じだぞ」といった論も噴出していたんだろうな、とも思う。金の第一声も、謝罪の言葉から始まっていたことだろう。

そして、当の田口八重子さんが名乗らされていた「李恩惠」(金にとっては教育係)という人物の存在も、北朝鮮は認めていないのだ。かつ、日本の最高権力者は「これで、拉致問題の解決が一気に進むとは思わない」と、面談の当日の会見で恥ずかしげもなくしゃべるような人間だ。
ああいうことだから、「拉致問題について、日本政府は、日本が米国に守ってもらって安全保障を図るという現在の構造を温存するために、解決せずに問題として存在させ続けなければならない、との立場だ」といった主張が、説得力を持ってしまうのだろう。