『おくりびと』感想2題

ゆうべ、『おくりびと』が地上波で放映された。これより1月ほど早くWowowでも公開されたときは、たしか2時間枠に納めるため、ところどころ少しずつカットされていたようだが、昨日のは「ノーカット版」を謳っていた。ところが、私の気づいた限りでは、1ヵ所、Wowowでは流れた台詞が切られていた。
それは、美香(広末)が、夫(本木)の仕事が結婚式関係だというのが嘘で、実は納棺師だと知ったシーン。「一生の仕事にできるの?」と迫る台詞に続いて、「(生まれてくる)子供も(父親の仕事がそれじゃ)イジメの対象になる」という台詞である。
わずか数秒の台詞なので、時間枠のせいではなく、「イジメ」という言葉に反応して削ったのだろうと思う。現実にこの仕事に携わる方々への配慮だとすれば、安易に‘言葉狩り’だとは言えないだろう。実は、私自身も、Wowowで見たときに、ちょっとだけひっかかった台詞ではあった。

     *   *   *   *   *

この映画で語られる死生観は、例えば、「死は、終わりということじゃなくて、通っていく門のようなものだ」とか「生きるためには、他の生き物を殺すしかない。どうせ食うなら、美味いほうがいい」といったふうに、新奇なところはなく平凡ですらある。俗耳に入りやすい、と言ってもいい。だからこそ、人種を超えて、世界の映画賞を総なめにしたのかもしれないが、そういうズバリと死生観を語る台詞の陰で、河豚の白子を食べながら軽くユーモラスにつぶやかれる「美味いんだよな。困ったことに」という社長(山崎努)の台詞。私は、美味なものを美味と感じてしまうようにできている人間の味覚に対する、この表現をまことに深いものと思う。主人公の大悟も、社長のこの感性が琴線に触れたのか、のちの場面で「美味いですね。困ったことに」とまねている。
殺生を禁忌として菜食主義に走るのでもなく、生態系ピラミッドの頂点に立つ生物として生まれたことに開き直るのでもなく、いわば人間の性(さが)について肯定と否定を同時にしてしまう、それが「困ったことに」の哲学ではないだろうか。