しかし、自民党的なるものは残った

政権交代」の実現が決って、半月が経った。
いわゆる「55年体制」が今の今まで続いてきた理由ははっきりしている。すなわち、自民党は、イデオロギーで結ばれた「同志」の集まりでなく、権力を握ることを至上命題と心得る連中のご都合主義組織に過ぎなかった。そのためには、選挙に強い者、金脈のある者を思想にかかわらず取り込んだ。右から左までが「ひとつ穴」にいることで、却って、“いずれかの極に走るのを防げるだろう”“それをバランスと呼ぶのだろう”といった、国民の多数の思い込みとよくマッチした。

それが、今回、「55年体制」の幕切れに至ったのはなぜか。「自民の無責任政治への怒り」というのは充分な説明ではない。いっぺん自民にお灸を据えてやりたい、というだけのことなら、今までも何度も言われてきたことだ。

思うに、総選挙の争点が、昔ながらの「保守VS革新」という構図ではなかったから、という要素が大きいのではないか。
保守か革新か、どっちを選ぶ?と迫られたなら「うーん」と腕組みしてしまう人も、また、もっと明確にアカよりは自民がましだと信じてきた人も、関係ねーやと投票に行かずにきた有権者の約半数を占める層も、みんな今回は、「継続か、転換か」と迫られた。そう言われりゃ「転換」しかナイでしょう、今ここで「継続」と答えるやつは異常だ、と思わざるを得ない雰囲気が出来てしまった。これが、民主党が“受け皿”になりえた最大の要因だと思う。

また、民主党自体も、(1)政権を得たいという共通項のみで集まった、イデオロギー面で統一性なき寄せ集めであること (2)憲法については、「自主」憲法制定が党是 (3)税金の無駄で、且つ地元経済の地盤沈下をもたらす「公共」事業の代表である整備新幹線の建設費などは見直しを言わない (4)党代表は2世どころか、4世政治家…などなど、自民党とそっくり。
というより、自民党と大して変わらないからこそ、“一度、やらせてみるか”と力試しをさせてもらえた、というところだろう。繰り返すが、民主党は「革新」ではない。

また、現在の日本の最大の関心事とされる不況、特にワーキングプアの問題が取りざたされ、それを産んだのが、「市場原理主義」の小泉や竹中だったことが自民党への逆風をより強い風にした、という点がしばしば指摘され、それもそのとおりではあろうが、それだけではない。
右顧左眄の迷走に終始した麻生、リーダーというよりは調整役しか務まらない福田、ともに人気は最低だったが、しかし、こういったタイプは、一昔前の日本なら多数が支持する政治家だったはずだ。その日本を、麻生や福田がダメ政治家の代表のように言われる現況に作り変えたのが小泉だったのかどうか、は知らない。小泉が「自民党的ならざる」存在だったか否か、も判然としない。
ただ言えるのは、“小泉が「ぶっ壊す」と言い募った古い自民党体質もうんざりだし、一方小泉のタイプに権力を与えても、おちおち歳もとれない国にしてしまう”というコンセンサスが行き渡り、自民はもう「弾切れ」だなと見放されたこと。これすなわち「逆風」の正体といったところだろう。

よって、これで日本も、英米のような「二大政党制」が成立したと考えては、あまりに皮相、かつお目出度すぎよう。だってついこの間、「大連立構想」などというのが、あやうく通りそうになったではないか。あんなこと英米では話にも出ないだろう。

民主党は、当面は、自民とのマイナーな差異を看板につっ走るだろうが、長くは持つまい。とうてい官僚どもを使いこなせはしないだろう。普天間基地の移転も、拉致被害者の奪還も進まないだろう。自民党の金権による癒着体質に嫌気がさして、民主に票を入れた有権者の期待も失望に終わるに違いない。そして、おそらくは近い将来、歴代の自民の「大物」を髣髴とさせるような醜聞をあばかれて、支持率を落とすのではないか。

しかし、民主党が、あまりに自民党的であることが再認識されて人気を失くしても、もちろん、自民党的なるものの元祖である自民党が、人気を吹き返すとは考えられない。

その場合、次の、もしくは次の次の衆院選では、記録的な低投票率のなか、自民・民主ともにほぼ同議席数で、過半数を割り、それこそ大連立しか選ぶ道がなくなり、共産党以外の全党が与党となる、というのが、私の描く最悪のシナリオである。この最悪の翼賛体制シナリオは、現実化の可能性がけっこう大きいような気がしている。

そこまでひどくないシナリオとしては、アメリカが民主党の大統領の間は日本も民主党共和党に政権が移ると日本も自民党が政権を握る、という“より情けなく深まった形でのアメリカベッタリ”と化す、というのも考えられるだろう。つまり本家二大政党国の各党が、それぞれの「犬」を飼うという構図である。これも、日本の体質からして、充分ありうると思うがいかがだろうか。