アルハラ

今年も酒を飲む機会の多い季節が近づいてきた。筆者は、酒の味を楽しむこと自体は大好きな人間の一人であることを断った上で、宴会というと思い出す、或ることを今日は書く。



イッキ飲み(正確には、イッキ飲ませというべきだろう)が、筆者が大学生だった1980年代初めごろ、もうだいぶ普通のことになっていた。

参考 http://www.hokudai.seikyou.ne.jp/soumu/alhara/

特に目に余ったのは、新入生への飲酒の強要だった。大学1回生といえば、当然大部分は未成年である。
中には体質で飲めない者も一定割合でいたはずだが、「自分で自分がわからなくなるまで後輩に先輩が飲ませるのが伝統」「飲む訓練をしておかないとも社会に出てから困る」といった、でたらめな根拠で正当化し、イッキイッキとはやし立て、あおられた者は息もつかずに飲み干してコップの底を周りに示す。全くの新人の場合は、その前に2回生くらいが「見本」をやって見せることも多かった。

筆者はせめて、未成年にだけは酒を無理強いすべきでない、と日ごろ論じていた。コンパの席でも、1杯ずつ位ならまだしも、一人(特に、未成年)に強要する回数が増えてきたりすると、先輩らにも諫めていた。あるときのコンパで、イッキ強要がことのほか大好きな中島という先輩が、「未成年にだけは酒を飲ませるのやめましょう」と言う私に
「なんや、お前は。そういうことを言うのなら、帰れ」
とどなりつけた。法を守ろうと主張する人間に対し、コンパに出るなというのであった。
周囲に同意見の者は皆無で、反イッキ派は完全に孤立無援で無力だった。(なお、筆者も、未成年であろうと自分で好き好んで飲酒する分には目をつぶろうという立場だった。)


その後、私のいた大学ではないが、イッキ強要で死者が出るケースが複数発生し、だんだん社会問題となった。
1996年には、ついに「イッキ飲み防止連絡会」が初めてイッキの強要を刑事事件として告発し、これを警察が受理した。イッキ飲ませが、犯罪として扱われた日本最初の事例である。


時代は下って、今は「イッキはNGコースター」なんていうグッズも出されているそうだ。このグッズを考案したNPO「アスク」も、アルコールの強要を正当化するのは悪しき伝統であり、まさにこの「伝統」という観念が、断ることを難しくしていると指摘する。かどをたてずに酒を断るため、いまだに、このようなグッズを準備するという負担を嫌酒派側が負わなければならないのだ。それでも酒を断る行為を社会がかなりバックアップするようになったことは評価すべきだろう。

最近はあまり「イッキ致死」を報道では聞かなくなったが、たぶん根絶してはいまい。
このNPOも、息子さんをイッキ飲ませで殺された親御さんが立ち上げたのだという。この社会が、嫌いな飲み物または体質に合わない飲み物を拒むことができるという、当たり前の社会に多少なりとも近づくのに、いかに多くの人命が失われたか、しかもその被害者の多くは若く、子供を亡くすというこの世で最も辛い目を見なければならなかった親がどれほどいたか、「アスク」のサイトを読むと慄然とするものがある。

http://www.ask.or.jp/index.html


上記の先輩らとはもう会うこともなくなったが、彼らは現在、飲酒についてどういう考えを持っているのだろうか。
サラリーマンとなってからも相変わらず、酒の嫌いな目下の人にも「俺の杯が受け取れんのか」とかやって喜んでいるのだろうか。
いや、「伝統」などという言葉に寄りかかって他人の自由を平気で奪うような人間だから、世の中の流れが“反アルハラ“になったら、掌を返すように宗旨変えしているかもしれない。