新羅を統一した王の墓の前で

文武大王문무대왕は、新羅高句麗百済の三国が鼎立した時代に幕を下ろし、統一新羅時代を拓いた君主である。当然、この地方(慶尚道等)では英雄であり、その他の地方(特に全羅地方)では怨嗟の対象だなどと言われる。
その大王は、晩年、とんでもない遺言をした。
「余の墓は、海の中に造れ」というのである。
王の墓は、日本もそうだが、古代以来、塚を盛って古墳にするのが常識である。
しかしこの君主は、竜すなわちドラゴンとなって、死後も、自分が大きくした新羅の行く末を見守りたいと思った。竜は海に棲むというから、遺骨は海底に埋めるように、と言い残したのだ。
さぁ、えらいことになったが、歴史的偉業を成した王の遺志を無視しては、どんなバチがあたるか知れない。
ブルドーザーもショベルカーもない時代の新羅の人々は、慶州の東のはずれにある海岸沿いの大岩に目をつけ、これを砕いて十字の形に並んだ形が残るようにし、中央位置の岩の底に、文武大王の遺体を埋めたという(一説には、海底に埋めたのではなく、散骨しただけとも)。

その、世にも珍しい海底陵墓を目の前にして、延々、ど派手な音曲と共に祈りを捧げている女性がいた。
菅原道真のように、偉い人は神仏のような格を与えられるという意識が、半島の人にもあるのかもしれない。長い祈りであった。