昨日の続き

昨日、朝青龍引退を喜ぶプログを書いた後、ラジオを聞いていたら、『バトルトークラジオ・アクセス』という番組(TBS制作・渡辺真理司会)で、一般人が参加し、この件を論じ、「朝青龍は引退して責任をとる必要はなかった。外国人力士だということで、日本人力士には無い差別を受けている」という趣旨のでたらめをしゃべっていたので、あきれた。
発言者はけっこう相撲ファンのようだったが、1949年に、前田山が休場中に日米野球を観戦し、監督と握手している写真を撮られたことから引責引退に追い込まれたことを知らないのだろうか。日本人もモンゴル人も「平等に」扱えと言うのなら、2年前のサッカー問題が生じた機会に引退させておくべきだったと結論するのが筋ではないのか。
むしろ、“異文化の人だから”というので大目に見すぎてきたと考えるのがまっとうだと思う。

サッカーの岡田監督に至っては、インタビューに「(力士の)みんながみんな、聖人君子でないといけないんでしょうかねー」と残念がっていて、もう何をかいわんやである。犯罪容疑者をかばい続けてまで土俵に立たせると、(いわゆる)国技が隆盛するとでも思っているのだろうか。聖人どころではない普通の、すなわち一般企業のサラリーマンが泥酔して暴行した場合、どういう処分を受けるかすら、岡田は知らないらしい。まあ、岡田ごときの場合はどうせスポーツしか知らない人間だから、笑い飛ばせばいいとして、良識ある「一般人」がトーク番組に参加するなら、もう少し事実に基づいた意見を電波に乗せてほしいものだ。

なお、ドルゴルスレンが起訴猶予になったのはもちろん、知っている。しかし、あれは嫌疑不十分でもなければ、本人が暴行を否認しているのでもなく、被害者が告訴を取り下げたためだ。強姦罪などと違っても検察は、その気になれば起訴できる。全くのところ、お目こぼしなのである。被告人にならなかっただけでも御の字だ。