北陸号・能登号ラスト・ラン

首都と北陸地方を50年間結んできた、特急北陸号と急行能登号が、3月12日夜に出発する便で、最終便となった。
「昭和時代に生まれた文化の一つ」といった調子でマスコミが取り上げ、空前の鉄道ブームともあいまって、多くの人が惜しみつつその走り去る姿を見守ったようだ。特に『報道ステーション』は、ちょうど金沢発の上りの発車時刻が放送時間と重なり、相当の時間を割いて同駅ホームから実況していた。

東京・九州間を長きにわたって結んだ九州ブルトレが消えたのは、1年前。「昭和」の末期には、夜行寝台はまだ全国を駆け回っていたし、私も長野行きのちくま号には何度もお世話になったし、銀河号に乗ったのも懐かしい思い出だ。
優等列車だけでなく、山陰や紀勢線には普通列車で寝台車をつないでいるものもあった。
それが、今ではブルトレとして運行されているのは日本海号など、片手で数えられる程度の数に減らされてしまった。

しかし、だからと言って、寝台列車は、飛行機などのもっと便利な乗り物にすっかり役割を譲ったのか、というと、それは少し正確ではないだろう。
1989年デビューのトワイライトエクスプレス(大阪−札幌)は平成生まれの寝台列車だが、大変人気がある。先日、北海道へ旅行した帰路に利用したが、始発の札幌駅でも、途中の停車駅でも、明らかに熱い視線(?)を浴びていた。ホームで、通勤電車を待つビジネスマンとか、たまたま居合わせたカップルとかが、携帯を取り出して写真を撮ったり、こんなので旅行したいねと言い合っているふうに指差しながら見つめているのだ。
停車駅も少なく、ずっと昔、特急が「特別急行」と呼ばれていたころの風格を備えている。
長距離移動の手段を消費者が選ぶ際に求めるものとして、速さ・便利さだけではなく、深い思い出を「演出」してくれるかどうかといった要因も大きくなりつつある。旅に「非日常性」を取り戻したいという憧れでもあるだろう。
それが証拠に、トワイライトエクスプレスは乗車率も悪くなさそうだ。イベント列車だと、えてして、鉄道ファンが写真を撮りに集まっても列車そのものには乗ってくれないと言うが、この特急は熟年世代から20代のファンまで、広い世代が20数時間の乗車を楽しんでいた。
鉄道はそういう演出を可能にする何かをいくつも持っていると思う。とりわけ夜行列車の味わいは、それ自体が旅行商品として、今後も消えることなく形を変えて残っていくと思う。
夜行寝台に限らず、“わざわざでも乗りたい”乗り物を企画するのも、運送会社の大事な役割と言っていいだろう。生活必需品の生産で、日本経済を支えられる時代はもう二度と来ないのだから。

要するに、あさかぜが、富士が、北陸が、能登がかつて見させてくれた夢は、平成生まれの「黒い車体の寝台列車」に引き継がれたのだと思う。
↓人気の衰えないトワイライトエクスプレス