中国初のノーベル賞の意味

ノーベル平和賞の発表が世界を沸かせた。
劉暁波氏の現在の服役原因となった罪状は「〇八憲章」を起草したことだが、これは、司法の独立,都市と農村の二極分化の是正,集会や言論の自由環境保護など、当たり前のことを求めているにすぎない。共産党自体は否定していない(一党独裁を批判することに主眼)ようだし、例えば「死刑を廃止せよ」などと、日本でも賛否分かれるようなことは一言も謳っておらず、どう読んでも、起草者である彼に「国家政権転覆扇動罪」という罪が当てはまるとは思えない。
画期的な触媒の発見に半生を費やした日本人の化学賞受賞と同様、一生の相当部分を刑務所で暮らすのと引き換えに民主化についてまっとうな主張をしてきた人が平和賞を与えられたことは、当然であると同時にやはり評価すべき選考委員らの判断だ。
ノーベル平和賞は、活動家を「後押し」する意味で贈られることはよくあり、ダライラマスー・チー女史への授賞もそうだ。さらに今回は、劉暁波氏やその支援者への後押しにとどまらず、中国政府に対しても、「せっかく経済大国になったのだから、もう少しバランスのいい発展をして」という、北欧からのエールとも取れなくはないだろう。そして、中国政府が、この授賞を「人権面でも貫禄ある国になろう」と考え実践するきっかけとするだけの甲斐性があれば良し、さもなければ「拝金主義大国」への坂を転がり落ちる速度を速めるだろう。
さらに、選考委員が「選考への圧力? そんなものは毎年、受けている」と述べたことを以って、トロール船の船長を釈放し、筋を一本通せなかった日本の検察を含む行政への間接的批判と解釈しては深読みか。
少なくとも私自身は、一市民として、ともすれば世論調査で「中国は嫌い」と応える人の割合が増えそうな中、政府はともかく、「中国人は嫌い」とまで感情をエスカレートさせないよう戒めるための、今次平和賞と解釈したい。中国人の中に劉暁波氏のような人もいるのだから。