ウズベキスタン

11月5〜10日、生まれて初めて、中央アジアウズベキスタンをツアーで訪れた。筆者にとって旧ソ連の国としては5ヵ国目(バルト三国、ロシアに渡航済み)である。
名は「ツアー」だが内実は個人手配旅行である。宿と、列車切符と、タシケント空港への出迎えについてエージェンシーに任せた。いつものような自由旅行(FIT)にしなかった理由は、この国がロシア語かウズベク語しか通じないのではないかと思ったたらだが、実際は、十分、英語が通じた。

主たる目的は、これはもうサマルカンドへ行ってみたかったと言うに尽きる。なぜサマルカンドかというと、何十年も前に山川の高校世界史で習ったこの地名の響きの良さ、そしてそこが日本でもなじみのある歴史上の人物にかかわりのある地だからだ。
たとえば、張騫。彼は漢の皇帝の命令で、匈奴を挟撃するため大月氏に派遣されるが、大月氏の本拠地がソグディアナ、今のウズベキスタンの辺りである。
もう一人の有名人は、玄奘三蔵。インドへ仏典を求めに16年間の旅をする途中、サマルカンドなどにも滞在している。『大唐西域記』にも記述がある。

以前訪れたマレーシアの一部地域やブルネイ王国では、朝っぱらからアザーン(アラーへの祈りの勧め)を、街宣右翼も逃げ出すほどの音量で町中に響かせていたので、“イスラム国へ行く以上、寝不足は覚悟の上”と、悲愴な気構えで望んだのだが、ウズベキスタンでは一度もアザーンを聞かなかった。祈りたい者は勝手に祈りたまえ、ということだろうか。
また、ムスリムの女性の衣装というとチャドルを思い浮かべるが、ウズベキスタンでは襟を大きくえぐって胸の谷間を強調するブラウスで歩く若い女性もいた。顔の半分しか出していないような女は一人も見なかった。ミニスカートには会わなかったので、さすがに太ももまでは出せないのかと思ったが、帰ってから読んだ現地レポートでは、ミニも決して珍しくないという。見られなかったのは11月という季節のせいだろう。日が暮れるといっぺんに寒くなる。

…というふうに、戒律について大変ゆるやかな国柄である。それだけに、中には、国家に対して、国民にもっと厳しくコーランの教えを守らせろと主張するセクトもいるらしく、たまに暴力沙汰を起こすのだそうだ。去年はタシケントで警察と武装グループの銃撃戦が起こっている。
http://www.pubanzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=183#header

               ◆

シルクロードのちょうど真ん中あたりに位置し、東西の交易で古代より殷賑を極めた土地らしく、さまざまの人種が暮らしている点は、行く前から持っていたイメージにたがわなかった。
多数民族のウズベク人自体、トルコ系で、トルコのという国にしてからがアジアとヨーロッパにまたがる国であるから、「エキゾチック」を絵に描いたような容貌である。
そこへ持ってきて、朝鮮民族が多い。ソ連時代に極東ロシアから強制移住で連れて来られた人の子孫だということだ。
タシケント・メトロに初めて乗った時も、ロングシートの向かい側に座った女の子は、いきものがかり吉岡聖恵によく似た丸顔だった。東アジア顔がごろごろいるから、こちらも目立たずにすむ。大きなカバンを持っているので、タクシー運転手や客引きに声をかけられるものの、旅装を解いて軽装になるとほとんど外国人とわからず、群集に溶け込むことが容易だ。