田中好子

雲南旅行から帰って来たらスーちゃんがいなくなっていた。帰ったその日の夜のニュースで、彼女の遺した録音の肉声を聞いた。


「もっと女優の仕事がしたかった」
“普通の女の子に戻る”ことを望んで引退した3人だったが、普通のおばさんになるのは無理だったようで、その後も活躍は続き、「黒い雨」では日本アカデミーなど多くの女優賞をさらった。
西条秀樹、郷ひろみ竹内まりやといった、同い年のスターらが今も現役で衰えを見せぬのに比して自分は、という悔しさがにじむ言葉。正直でストレートな表白と感じられ、聞くほうも辛い。

「震災で亡くなられた方たちの力になりたい」
“普通に戻れ”なかった人は、一生を終えた後も天上でエンターテイナーとしてみんなを癒したいということだろうか。
しかし「こっち側」にいる人間としては、やはり大きなものが欠けた気がする。手塚治虫筑紫哲也、といった自分の親の世代の偉大な才能が逝ったとき、惜しいなーもっと活躍してほしかったと、心から思いつつも、やはり「寿命は順番」の埒の中だった。親が「段々自分の同年輩が減っていくわ」と寂しそうにしていたのを思い出す。田中好子は私よりいくらか年上だが、それでも今回、ほぼ同世代が死んでいくのを知らされる気持ちを多少味わわされたような気がする。
だから「惜しいなー」以上のものがある。
20歳代のキャンディーズが歌っていたステージの映像は今も脳裏に鮮明だが、その中の右側の人物のイメージだけが、『めぞん一刻』に出てくる音無惣一郎さんの写真のように、私の頭の中で黒塗りになってしまった気がする。


「幸せな人生でした」
家族以外面会謝絶という状態になった時、家族の計らいで、ミキとランだけは「家族も同然だから」ということで病室に入ることを認められ、一緒に最期を看取ったという。優しそうな配偶者や家族に加え、それほどの無二の親友が2人もいて、今際の別れを悲しんでくれたゆえに、この言葉もまた、上記の言葉と同様、決して外交辞令などではない飾りなき真情の吐露であろうと思う。

合掌