日韓露出比較

韓国公正取引委員会が「20歳未満のタレントが過度の露出や扇情的表現・演技を要求されたとき、これを拒否できる」とするガイドラインを出した。

それで思い出したのだが、作家の筒井康隆氏が若いころのエッセイで「裸の女に欲情するのはガキだ。服を着た女にエロティシズムを感じなければ大人ではない」と書いていた。また、上岡竜太郎氏はタレントだったころ、「超ミニスカートの女のコの太ももが見えてて普通やけど、和服の女性の裾がわずかに乱れて、ふくらはぎの一部が見えただけで“うわっ”と思うやろ」と言い、その番組で相方だった笑福亭鶴瓶
「わー!ほんまやわ。和服で、もし太ももまで見えようもんなら、もう天下取ったみたいや」と返していた。

ところが朝鮮民族チマチョゴリでは、どんな歩き方をしても、どんなしどけない座り方をしても、脚がのぞくことは期待できない。封印した肌は封印しっぱなしのデザインである。
逆に、中国の(正確には満州族の)チャイナドレスのように、もともと太ももの上まで裂け目を入れてあるものは、最初のうちこそ目をひくものの、慣れるとそれだけのことで、とても筒井氏や上岡大明神の想像力を満足させるものではなさそうだ。
セクシーさの基準にしても、色っぽさがウリの韓国タレントの、流し目、体のくねらせ方、カメラに向かうポーズなど、いかにもストレートというかステレオタイプというか、陰翳がなさすぎるのではないか。
こう考えると、東アジアの中でも日本では、民族服であるKIMONOを考え出したいにしえの頃から、隠しても隠し切れぬエロを楽しみ、犯しがたいものを“秘すれば花”と尊び、到達すべき深みまでの障害が多いほど奮い立つ、という文化を育んできたらしい。
韓国では、チマチョゴリが邪魔なら、ちょん切るしかない。いきおい、露出競争になり、限界まで露出させたあとは、その低年齢化でライバルに勝つしかなかった、と言えば単純化しすぎ?
一言で言うと、韓国では五感に訴えるセクシーさだけしかなく、大人のエロティシズムが一般的ではない、ということになろうか。この仮説が正しければ、表面的にガイドラインを整えても、また抜け道が考え出されるに違いない。まして今回の措置は、行政指導的なもので、刑法上の取締りではない。
こう書くと「いや、日本の露出表現だって相当なものだ」という反論が出るかもしれないが、露出は露出でも、日本では篠山紀信氏が20年ほども前にヘアヌードを「芸術」と認めさせ、警察に摘発を断念させた。韓国で今回問題になったことの根底にあるものが単純な扇情主義だけだいう考え方が正しければ、あのような流れは、韓国では起こりにくかろうと思う。