2011年の1字

今年の世相の1文字は「絆」。予想通りである。同朋との絆にとどまらず、世界中から支援と励ましを寄せてもらい、人類の絆のようなもの迄感じたのであってみれば、この漢字が意味するものを大事にしたいと思いこそすれ、異議などは唱える気はない。
しかし、それでもなお、1つ付け加えたい。
それは、福岡の人達が「福島県産品の専門店」をオープンさせようとした時、「福島から来たトラックは放射能をばらまく」などという非科学的な意見に「配慮」してオープンを断念した、という話に代表されるような、数限りない風評。
あるいは、原子力村にはびこる、経団連のドンたる米倉のごとき、人の命や子どもたちの未来よりてめえの利益の方が大事だと思っているとしか考えようのない人間。「献金」という名のワイロで権力をも動かして、真っ黒なものを白と言いくるめる連中の存在。
「何が絆だ」という思いにかられるニュースも多かったことをしっかり忘れず、「麗しき人と人のつながりの物語」などと美化しない冷徹さを持ち続けていたいとも思わせる、この1字である。へそ曲がりだとは自覚しつつ…。