ユーロ圏の憂鬱

2001年にユーロが、決済上の単位のみならず、実際の通貨としても流通し始めるや、ギリシャでは悪どい便乗値上げがあったという。それも、端数を切り上げる程度なら可愛げもあるが、固定レート340ドラクマ=1ユーロというのが取り決めなのに、例えば100ドラクマで売っていた物品が1ユーロになるというような。それが堂々とまかり通っていたそうだ。
私個人の経験でいうと、2003年、ギリシャを3週間ほどかけて、じっくり見て周ったことがあるのだが、その折、日本の1人あたりGDPの2分の1以下しかない国('03当時、15690ドル)の割には、えらい物価が高いな、という印象を持った。特に外食は日本より平均して高いのではないか、と思われた。
その2003年はアテネ五輪が開かれる前年だったから、いろいろと公共事業や投資が盛んになった分だけインフレ気味なのかなぁ、とも思ったが、国力や一般の人々の収入に見合わない物価が、8年前既に広まっていたことは間違いない、と今になって思う。
ユーロは、10年前の発足当時、「歴史的実験」と呼ばれ、どちらかというと持ち上げ気味に報道されたようだ。そして、「われわれもそれに倣って、アジア圏の通貨「Acu」の導入を検討」などという論議も、まじめに行われていたのを覚えている。
確かに、実験だった。しかし、独仏のような、世界レベルでもトップクラスの先進国の国債も、背伸びしてユーロの仲間入りした国の国債も、同じく「ユーロ建て」になるということで、借金体質の国にとって負債を簡単にできるようになる麻薬であったことは、理解するのに何の難しさもない。
いわば、この「実験」が初めから持っていた本質的ジレンマが、最悪の形で現れたのが、今回のポルトガルギリシアなどの金融危機(と言われているが、英文でいうDebt Crisis=借金危機という方が正鵠を射ていよう)ではないか。
ひらたく言うと、はなからこうなると、なんで予測できんかったんや!?というところだ。