シャドウイング礼讃

語学学習の方法の1つとして、シャドウイングすっかり定着してきた。一応説明しておくと、ネイティブの発音にコンマ数秒遅れて、同じリズムで音に出して発音練習することだ。テキストは見ても見なくてもいいが、もちろん、見ずに耳と口だけでシャドウイングできるようになるまで繰り返すのが望ましい。私などは、テキストを見ながらのは、シャドウイングと呼びたくないくらいだ。
NHKの語学講座でも、英語、韓国語、中国語、その他にも私が聞いていない言語の講座でも、採り入れられているようだ。それもそのはずで効果は大きい。新しい単語も難なく記憶に残る。
その理論を説いた本も出てきている。
私が中学・高校のころの英語会話などのラジオ・テレビ講座ではフォローイング(ネイティブのあとについて発音)だけだった。シャドウイングが方法として使われるようになったのは、そう昔のことではないのだろう。「行なわれる」といっても、学習者が言われたとおりにシャドウイングしているかどうかは、講師の側は確かめようがないから、「推奨されている」というべきだろうが、昔はこの用語自体、用いられていなかった。
もう少し難易度が高いのがオーバーラッピング(遅れずにぴったり発音する。当然暗記していなければできない)だが、むしろ、ある意味でシャドウイングのほうが学習効果は大きいのではないかと思えるふしもある。
で、ぼちぼちと、私の講座にも採り入れだした。放送でと違って、クラスメートらの聞いている中でやらされるから、学習者はあまりやりたくなさそうだが、愛(?)の鞭だと思って、必須にしている。
たとえ嫌われても、効果の大きさを考えれば、方法として用いないのはあまりにもったいないからだ。
ただし今は、どのスキットをシャドウイングするかは、学習者が選んでよいことにしている。どれを選ぶか決めるのも、勉強の一部だと思うので。