書評『インパラの朝』中村安希 著

 本書を手にして評者(私)が最初に開いたのはカバーの見返し。つまり著者近影だった。色白でショートヘアの中村さんは、多くの男が美人の範疇に入れるであろう涼しい目鼻立ちの奥に、どことなく近寄りづらい雰囲気をごく微妙に漂わせた女性、という印象だった。
 写真の下の略歴を見て、その旅立ちが中村さん27歳になる年だったとわかって『おっ』と声を上げた。27は、沢木耕太郎さんが『深夜特急』の旅に出た齢と同じであり、もっと古くは小田実さんがのちに『なんでも見てやろう』を書くことになるアメリカ留学並びにそれに続くユーラシア漂泊へと向かった齢でもあったことを知っていたからだ。(ついでに言えば、三蔵法師こと玄奘がインドに赴いたのも27歳だったという説が有力。) これが偶然なのか必然なのかは興味深い問題だがここでは措いておく。

 さて、本文。
 まず出発前の思いを点描する序章から第1章ヒマラヤ山系までは、正直、ピンボケの写真を見せられて何が写っているか覚えとけと言われたかのような、かすかな苛立ちを覚えた。話が抽象的なためだ。それが、マレーシア[下手な芝居]に至るや、危機に直面して急回転しだす彼女の知恵と胆力がにわかにありありと活写され、俄然読むのが楽しくなる。
 それでもなお、「カオス」と題を与えられた2章のところどころには、情景がイメージしにくい箇所、あるいは、“そんで結末はどないなってん?”と言いたくなる、はぐらかされ感の拭いきれない箇所があった。それでも読むのをやめる気にならないのは、展開の速い文章と、随所に散らばるディテール記述に惹かれるからだったと思う。
 さほど難儀な事態にも見舞われずに通過してきたアジアを終え、アフリカへ入って彼女の旅の難易度・危険度は跳ね上がる。第6章ケニア[灼熱のサバンナ]まで読み進んだ時は、著者近影を見返して「安希さん、あなたよく生きて日本へ帰って来れたなぁ」と写真に語りかけてしまった。同時に、本書を読み始める前に顔写真から受けた近寄り難いような印象は、不思議なほど消え失せているのに気づいた。そして、もしかしたらあの印象を成すのに預かって大きかったのはまさにこのアフリカでの過酷な経験だったのではないだろうか……、もしそうなら著者の写真を旅のビフォー/アフターで比べて見てみたいものだ、とハイパー・イマジネーションを逞しくした。
 アフリカ南部をゆく7章は修羅場度に拍車がかかり、ザンビア[闇の向こう]から、ジンバブエ[敗北]の殴打お見舞いを経て、南の果てヨハネスブルグで彼女の警戒態勢は頂点に達する。さて身構える中村さんに治安ワーストの街はどう応えたか…? そこは未読の方のために伏せておく。南アフリカは評者の好きな節の1つだ。
 西アフリカには2章を当てて詳述した後、続くヨーロッパでは友人再会にのみ時間を費やしたそうで、記述も簡潔だ。ただしポルトガルだけは7百日近い行程の終着点だけにきっちり抑えられている。それは、やはり同年配でユーラシア大陸の西端に至った沢木先輩の「ワレ トウチャク セズ」よりさらに輪をかけて、“To Be Continued感”溢れるエンディングで閉じられている。

 さて、最後まで読めば、なぜケニアの1節のセクションタイトル「インパラの朝」を書名(加筆後の)に援用したのか?のタネ明かしがあるかなと思っていたのだが、それは明かされず終いだった。それと、2章に関して述べた、結末はぐらかされ感は、その後も散見される。それは効果をあえて狙ってのことなのか、何か別の都合なのだろうか?
 この紀行を特徴づけるもう1つの個性は「私は耳をそばだてて、闇の中にちりばめられた音の破片を拾っていた」(単行本p.149)とか、「星の夜空と白いマストは、安っぽい特撮映画のように、融和できない二つの色を不器用に重ねて失敗し、空間の中で分離していた」(同p.177)といった文に見られる、語句どうしの共起習慣や 意味の近親性を超越することを目指したような、隠喩とも寓喩ともつかぬ“文体の冒険”である。こっちの方は意図的な試みに違いあるまい。評者は面白いと思ったが、読者により評価の分かれるところかもしれない。もっともこうした語法も、紀行文の中に使われるから新鮮に響くが、もしJポップ(例えばMr.Children)の歌詞だったら今さら超越とか冒険とか取り立てることはない修辞だから、評者のような年配(五十代)の者が慣れることができないでいるだけのことかもしれない。

 ところで、中村さんはいわゆる観光地を訪れなかったのか、訪れたが書き残す必要を認めなかったのか、とにかく一切観光地の記述がない。「各地の生活に根ざした“小さな声”を求めて47カ国をめぐる」と紹介文に謳う通りの、物見遊山一切抜き、その分セリフの多い紀行である。

 彼女は国際援助に興味、というより、参加しようという強い動機を持っているとみえ、アフリカ滞在中は、開発,人間教育といったことに、若い心で思索を繰り広げている。ついこの間横浜で第5回アフリカ開発会議が開かれたが、世界の最貧大陸に対し、空回りのODAや、力みすぎのNGO活動に陥らないよう、より止揚していくために日本人がすぐ近い将来考えなければならないテーマ(悩み、も)を先取りして呈示しているようだ。

 もう一つ重要なくだりがある。
 インドからパキスタンへ進む際、「その国境付近で邦人が何人も死んでいる」と聞かされていた彼女は、いざ国境を越えると死体が自分の見える範囲に無かったことを理由に、「10日以内にインドに戻ります」という当局への誓約を反故にする。遺体などというものが、人の目に触れる所にいつまでも放置されている筈もなく、よってそれは彼女の自分を納得させるための理屈に過ぎず、危機管理としては なっちゃいないし、「南京大虐殺があったというころに自分は南京にいたが、殺戮など見なかったから、そんな蛮行などなかった」と主張するやからとロジカルには変わらないレベルなのだが、そうして入ったパキスタンで、彼女は旅行者としての自分の使命らしきものを自覚する。それは、「役人やメディアが提供する情報と自分の目で見た現実とのギャップを伝えること」。
 それは要は自らをルポライターと位置づけた瞬間だった言っても、大きなズレはないだろう。本書の冒頭で語られる、旅立ちの動機が、情緒的で曖昧だったことから、かなりはっきりした方向付けが自覚されたという意味で、死体が無かったので云々などという記述を越えて、ここは重要な一節だと思う。

 それから、旅行中に偽装結婚をしていることも、強く心に刻印されるエピソードであった。1度目はトルクメニスタンからイランへ入国する手段として、相手に頼みこんで。2度目は男から執拗に説得されてイエメンで。
 その印象が強烈な訳は、書類上だけの結婚(&離婚)という、大抵の人が生涯一度もしない経験を2度まで踏んでいるからということも無論あるが、それ以上に、あ、そうか、この旅行者は女性なんだ、とことあらたに実感させるからだ。つまり、国境を通過するのが独身女性一人では難しい(本当にそうかどうかは知らない)と考えられる国はあっても、独身男性で同様の心配は考えにくいわけだ。
 さらに言えば、女性の長期旅行の記録本自体が案外数少ない。私は少なくとも読んだことがなかった――そんなことも気づかされた。評者が海外で出会う一人旅の日本人の男女比にさしたる差はなさそうなことを思うと不思議と言えば不思議だ。1年を超えるスケールの旅は、今もって男性の比率がそれほど大きいということか?
 ただし、本書はそんな単なる稀少(?)価値にとどまらず貴重な記録と言えようし、第一、彼女の旅行そのものがとても魅力的。開高健ノンフィクション賞を受賞するのもむべなるかな、の意欲作である。