田端義夫(94)

田端義夫氏が94歳で逝去した。
1919年、松阪市出身で、私と同県人。

父が、ソノシートという今では絶滅(多分)した形態の音盤で 田端の歌を持っていて、「ズンドコ節」などは、軽快な子供でも楽しめる歌だったから、借りて聞き込んでいた。「大利根月夜」「島育ち」などは今も口ずさめる。我ながらおっさん臭いガキだった。

度会郡の祖父の旧家から、歩いて3分もかからない所に、夏の縁日が立つ寺があった。縁日には境内で、盆踊りや喉自慢などのイベントが催され、夜遅くまで賑わった。
小学生時分のある夏の縁日で、イベントの進行をこなしていた司会者が、ひときわ声を張って
田端義夫さんが駆けつけてくれました」
と紹介した。上記のとおり私の知っている名前だったから、「え!?」と、木で櫓を組んだ臨時ステージを見た。勢いよく駆け上がりながら「お〜す」とお決まりの挨拶をし、バタやんは1曲歌って早々に引き上げた。曲目は全く覚えていない。「本物だったのかなぁ」と、いぶかしんだ。「本物の有名歌手が目の前に来たら、大人たちがもっと『おぉ〜』とか盛り上がりそうなもんだ」と。
しかし、今思えば、田端のそっくりさんが来るなんて方が不自然だ。きっと町会議員辺りがプロダクションに口を利いたとか、そんなところか。
今なら、警備の問題で有名人をあんな無防備に登場されるのは難しそうだ。また、司会が「さあ、いよいよ今夜のメインゲストの・・・・」といった扱いをしなかったことも、時代を考える材料と言えるかもしれない。サプライズとは、本来あのようにさりげないものなのだろう。

独特のスタイルを編み出し、演歌の一時期を画した人だった。1度だけ実物を見た田端さんのご冥福を祈ります。