伊勢号復活

何十年も前に、三重県の鳥羽から東京へ走る急行「伊勢」があった。寝台車を連結し、途中の多気では南紀方面から来た那智号と併結し、亀山と名古屋で2回進行方向を変え、首都を目指した。名前が「紀伊」号と変わり、72年に鳥羽発は廃止されて紀伊勝浦−東京の便が単独で走るようになった。やがて特急に格上されたが、紀伊号もブルートレインの中では比較的早くに役割を終えた。近鉄と新幹線で三重県の中心からは3、4時間で行ける時代が来て、乗客減が不採算を招いた。
紀伊号はDD51に牽かれ、23時11分に、私の住んでいた街の駅を出発していた。高校生だった私は、毎日同じ時刻に聞こえる汽笛を闇の向こうに聞きながら、いつかあの列車で旅行に出られればいいなと思っていた。私は大学に進学して家を出、ついに乗る機会なく、伊勢号に続いて紀伊号もなくなった。乗るどころか、そのラスト・ランを目に納めることもできなかった。
その名を継いだ臨時列車「伊勢」号が、今夏から走っている。但し走行区間は、昔のよりは比べ物にならないほど短く、名古屋―伊勢市である。

それでも、伊勢号の名称は、私にはとても懐かしい。定期快速の名「みえ」号はなぜか好きになれない。
特急南紀と同じキハ75系が使われているので、車体自体は珍しいものではなく、写真的には変わり映えしない。
近鉄が「しまかぜ」を13年3月から導入し、人気が高いので、その後を追って、20年に一度の式年遷宮に絡んでの商法を狙ったようだ。もっとも運行は今年限定ではないから、伊勢志摩方面の客の増加が恒常的に見込めると踏んでいるのだろう。
それにしても前回1993年の時はほとんど話題にならなかった遷宮、今年のマスコミの取り上げぶりはどうだ! これが社会の右傾化とどれほど関係があるのか は知らない。