藤圭子

私が小学生の頃に脚光を浴び始めた歌手で、その歌は私よりやや上の世代の人がよく聞いていた。子供心に、美人で、かっこいい声の人だな…と思ったような記憶がある。実際、同じ年齢の頃の宇多田ヒカルより、ずっと奇麗だった(ヒカルさんとそのファンには、失礼)。

巨人の星』で、飛雄馬が「バットを避けて通る魔球」こと大リーグボール3号でスターの名を欲しいままにしながらも、それが遠からず己の野球生命を奪う禁断の魔球であることに、心身ともに苦しんでいる時期に、テレビ番組に藤圭子と飛雄馬がゲスト出演するというシーンがあった。それは若い時分に大変な苦労をして、スターダムに登りつめた人物を呼んで苦労話をきくという設定で、その中で飛雄馬は司会者から「お若いころの苦労は大変だったと聞きますが」と振られ、「あの頃の苦労なんか、苦労のうちに入らん!」と、彼らしくない台詞を吐いて司会者を困らせる。川崎のぼる描くところの圭子さんは、そんな星の姿をあっけにとられて見ている、というような1コマだった。それほど、その時の星の葛藤と苦痛は深い、と作者は伝えたいわけだ。
現実の圭子さんも、デビュー前の“薄幸”で有名であり、それをセールスポイントとしてプロデュースされたという面があるが、仮にこれが自殺なら、それこそ「15、16、17と、暗かったあの頃なめた苦労なんか苦労のうちに入らないわ」と叫びたくなるような何かに、今、苦しんでいたということなのか? その何かは、「あの頃」でさえ生き抜いた彼女にも 耐えられない苦痛だったという無言のメッセージなのだろうか? 余人が憶測するのは控えるべきかもしれないが、とにかく意外であり、残念だ。
劇画のほうでは、星飛雄馬は、後に右投げ投手として帰ってくるのだが、実在の元・美人歌手は、帰路なき旅の人となった。謎を残したまま。
享年62。
合掌