やなせたかしさん(94)太陽に

大正8年、高知県生まれ。
30歳代にビールの広告漫画で世に知られだし、48歳『週刊朝日』の懸賞に応募した漫画が入賞した。終生の代表作「アンパンマン」を生み出したのが50代、ブレイクは遅い方と言えよう。
私自身がやなせさんの姿を初めて見たのは1967年頃だったと思う。局も番組名も忘れてしまったのだが、確か夕方6時頃のテレビ番組に、似顔絵だかイラストだかを習おうというコーナーがあって、そのコーナーになると登場する背のひょろっと長い色眼鏡をかけたおじさんがいて、子供向けに、簡単な人物画の描き方のコツを披露してくれていた。その人を司会者がやなせたかしさんと呼んでいた。小学生の頃の記憶だ。
大人になって、アンパンマンという幼児向けヒーローがとても人気があるらしいと、その存在を知ってから何年も経って、その作者があのやなせさんだと聞き、少なからず驚いたものだった。
そしてアンパンマンを再度見て、そう言えばあの絵かな、と、やっと結びついたような次第。

簡単な線で描かれた2等身キャラの面々は、確かな造形力を土台に、日本のみならず、世界の幼児の心を鷲づかみにしたことは多言を要さないだろう。
また、手塚治虫率いる虫プロが制作したアニメ「千夜一夜物語」では美術監督の大役を果たし、評価された。マンガ家を目指す子供のための『まんが学校』『マンガ入門』も代表作の一部で、テレビ出演の時代の仕事をまとめたものと言えるだろう。

政治も経済も、世の中が弱肉強食に傾くのを肯定したがっているかに思えるこんな時代にも、「弱い者の味方が真の勇者」と、明快なメッセージを変わらずに送り続けてくれた人が、一人減ってしまったなぁ…と思う。
夕べは、日本中の、小さいお子さんがいるご家庭で
アンパンマンを描いた人が死んじゃったんだって」
「えっ、やだ」
そんな会話が交わされたかもしれない。
「A国の正義がB国では悪と見なされることがある。しかし、お腹を空かせている人に食べ物をあげることは、逆転しない正義ではないか」という彼の考えは、アンパンマンという形を得て、幼い子たちに伝わった。
命の讃歌、「手のひらを太陽に」は、私もリアルタイムで愛唱した歌だ。やなせさんは、昇天してお星様ではなく、彼が産んだヒーローの顔のように丸くて明るい太陽になったのかもしれない。