ネルソン・マンデラ(95)

多くのニュース、記事、社説、コラム等で採り上げられた訃報だから、マンデラの成した仕事については、もう多くを語るには及ばないだろう。思想犯として投獄の憂き目、失わない自由への理想、苦闘の末の大統領の座、ノーベル平和賞の栄光、と、彼の一生のどこをとっても波乱そのものだが、日本にも因縁浅からず、かつ同様の波乱を体験した人が隣国にいた。金大中氏だ。
ところが、上述のように2人の体験は酷似しているが、その仕事がどう引き継がれたかを考えると、差が大きいと言わざるを得ない。
南アではアパルトヘイトが完全撤廃され、差別・偏見が(0にはなっていないまでも)、少なくとも黒人市民にも権利を等しく認める制度になったとされるのに対し、南北関係は元の木阿弥に近い状態なのは、何故か?
金氏の力不足か?
その理念・理想を引き継ぐ者の不在か?

そのどちらでもないように思える。
かたや人権侵害との闘い、かたや同族間の戦争および今に至る休戦状態。一国の内部の制度改革で済む人権問題と違って、内戦構造の慢性化の方には、国際社会がバックアップを与えづらかったのかもしれない。アメリカのように、自分のヘゲモニー維持の手段として、南北の分断を利用した、と言われる国もあるくらいだ。
そこから延長して憶測を広げるならば、アパルトヘイトの方だって、「我が国は、いまだに残る、世界に稀なる悪法を持つ国に働きかけて、それをやめさせるのに一役買いましたぜ」とハクをつけるのに使える、という計算が、各国を動かしたのかもしれないとさえ言える。
能力と勇気だけでは、偉業は達成されないのかな?と、逝った人には申し訳ないが、そんなことを考える。