〈従軍慰安婦問題と朝日新聞〉問題

朝日新聞の、自社がかつて従軍慰安婦を報じた記事の真偽を総括する二日がかりの特集を読んだ。


“論じるべきは「従軍慰安婦制度そのもの」であって、誤報を必要以上に論じて核心を見失うことのないよう、大所に立った検証を”
といった趣旨の意見を小熊英二氏が寄せた。もっともではあるが、まさにその大所に立つためにこそ、今回 朝日は恥を公式に認めたのだと思うから、その認め方に不十分さがあると思う人がこの際に指摘しておくのは決して「枝葉末節」に拘泥することには ならない。加えて、日本の戦後処理が非常な遠回りをたどり、今も変わらないことの責任は右・左派双方にあると思うので、私は「従軍慰安婦問題と朝日新聞」問題の方も、まだまだこれで幕引きというわけにはいくまいと考え、ここに限れば小熊英二氏の論に不賛成だ。とはいえ 本日のところは、「朝日さん、過ちを認めたことは敬服するけど、あまりに遅すぎるで」と言うに留める。


Sexual Slave(「性奴隷」)というアムネスティなども用いる用語が、いうところの慰安婦を指すのにふさわしくないという者もいる。「奴隷」を広辞苑でひいても、また、“slave”を英英辞典で調べても、只働きさせられるという要素はその定義を構成していない。誰もが自ら進んでは やりたくはない労働しか選べない状況に追い込んで従事させるやり方は、本質において、いわゆる「奴隷」売買と異ならない。

「逃げようとする者には、見せしめのために、膣に焼け火箸を突っ込んで殺した」などという証言がウソだという証明ができない限り、仮に彼女らが純然たる「強制」(安倍晋三の言い方では「狭義の強制」)で連れてこられたのではなかった としたところ(この点については後述)で、自由意思で売春を続けたとは言えない。また、「帰りたければ、事前にお前の親に払った金を返せ」と言われて、とどまる選択肢しかなかった少女にとっても、奴隷状態と呼ぶのがぴったりの過酷なものだったといえるだろう。

従って、私は「性奴隷」という呼称を使うのに異議を持たない。少なくとも、帝国軍が使った「慰安婦」という美称(?)よりは本質を言い当てた表現に違いない。


そう考えてくると、上記の朝日の特集で秦郁彦氏がいう「慰安婦の稼ぎは兵士の数十倍で、廃業帰国や接客拒否の自由もあった」云々が、どこまで真相なのか、さしあたり検証が急がれる。「でっち上げ」とまでは言わないが、“そんなケースもゼロではなかった”程度の証言を、鬼の首でもとったように敷衍してんじゃないのか と眉唾をつけてしまう。日韓併合が形式だけは合法性を繕っていたのに似た、実行可能性ゼロに近い、形だけ、アリバイ作りとしての「自由」だったのではないか?

だって、自由な労働契約が成り立っていたのだとしたら、

「なぁんだ、工場での仕事って聞いたから来たのに、兵隊さんの性欲処理の仕事ですか? だったら、国に帰ります」

「そうかい。じゃ、また」

で終わったはずで、こんなに大問題になるはずがない、と考えるのが常識ではないか?


次に、「強制」連行。
私は、慰安婦集めの段階での強制は極めてまれにしかなかっただろうと、かねてから思っていた。なぜなら、軍人が村にやってきて「恐れ多くも天皇陛下の軍隊である帝国兵士の夜にお供する若い女性を、この村からも差し出せ」と命じ、止める家族を足蹴にして引っ立てていく、なんてシーンが半島や台湾中で繰り広げられたら公けになった時に問題になる、と考えたからからこそ、
“民間業者が勝手にニーズを嗅ぎつけ、美人をリクルートし、それを「たまたま」兵士が利用した”
ということにするストーリーを思いついたんだろう。

であるからには、兵士たちには、上から、

「いいか、決して、お前らが慰安所設置に直接関わるな。あれはあくまで、女衒がやったことになっているんだからな」

と厳に申し渡されていた、と推察する。

強制されたという証言が少数ながらあるのが何故かについては別個に考察する必要があるが、「強制」の定義とイメージの個人間の揺れの要因が少なくともあるだろう。
とにかく、強制連行ではなかった、ということは、かえって、軍のやり口の悪辣さの証拠となりこそすれ、免罪符でも何でもない


いずれにしても、戦前戦中にあったことだけに、狭義の物的証拠がなく、誰かが書いた文書か 当事者の証言、すなわち「言葉の形で残っているもの」を検証するより他に「真実」に迫る方法がない今、何らかの主張をする際にはその論拠となる出典を示し、検証可能性を担保することが必須だ。特にメディアにあっては、必ず一次資料を明記(最低限、資料名だけでも)すべし。検証という作業は、私のブログのような「言いっぱなし」とは違い大変な手間であり、なかなか真実が見えて来ないものだが、そういうものが検証だ と理解してまどろっこしさに耐えることが、「いつまでも謝らなくても済む」時代を切り開く、急がば回れの道だと考える。
それを、性急に慰安婦制度そのものがなかった、などと公言するのは、日本政府の立場とさえ齟齬があるし、被害者と名乗り出た人全てが慰謝料欲しさの嘘つきである、と主張するに等しく、「真実」を明らかにしたいという姿勢とは対極にある非理性的なものであり、また被害者にとってはセカンドレイプである。
最近もNHKの経営委員会の会合で「従軍慰安婦制度はなかったのでは?」と、番組に難癖をつけた百田直樹のような、エセ文化人を経営委員に送り込む人間が総理大臣に居座っていては、隙あらば理研顔負けの捏造で歴史歪曲を広めてやろうという勢力がのさばることになりそうだ。


それは、朝日新聞の今回の特集の意図を踏みにじり、かつ日本を孤立させる、真の意味での「反日分子」の所業であると思う。