ロビン・ウィリアムズ−−−あの笑顔も越えられなかった何か

11日の自殺の第一報を、どういうわけか私は見落としていて、15日の、パーキンソン病にかかっていたことを奥さんが明かしたとの報道で初めてその死を知り、驚いた次第だ。
ガープにスカッとさせてもらい、ミセスダウトに笑わせてもらった。しかし何と言っても、いまを生きるの先生。
個人的なことに引きつけるのはおこがましいのだが、20年近く前にNGOの職員をしていた頃、ワークキャンプにアテンドした私は、若気の至りといおうか、国際援助や開発について(内容はもうはっきり覚えていないが)キャンプ参加者に熱く語ったことがあった。参加者の一人である大学生が、「『いまを生きる』の授業みたいですね」と評してくれた。そこには、あるいは、理想主義ですね!という軽い揶揄もこもっていたのかもしれないが、それも差し引いてもなお嬉しい言葉だった。ロビンの名前を聞くとその遠い日を思い出す私にとっては、銀幕にはあまり出なくなったとしても、ずっと“同時代(いま)を生きて”いて欲しい人だった。

キネマ旬報社刊『外国映画人名事典』で「ロビン・ウィリアムズ」を引くと満面の笑みの顔写真が載っている。他のスターたちのプロフィール写真は、澄まし顔、せいぜいスマイルが多い中、彼は口を大きく開けて笑いをこぼしている。本人がこの1枚を希望したのか編集者が選んだのか知らないが、今はこれが遺影のように見える。遺影の写真には最も故人らしいショットを選ぶのは、宗教を超えた人情だろうが、この1枚もまた、在りし日の名優を偲ぶのに誠にふさわしい。
シリアスな作でも、ユーモア主体のものも、どこかに「希望」を感じさせる作品が多く、彼の演じたヒーローはたいてい明るい「笑顔」が似合った。その彼にして自殺を選ばせた病は、やはり希望なき病魔だったのだろうか? “俳優本人は本人、役どころは役どころ”だと言ってしまえばそれまでだが、なろうことなら同じ病気で闘病中の永六輔さんのように、活動の範囲を狭めてでも、希望を捨てない姿を見せて欲しかった、そんな思いを捨て切れない。
アルコールやドラッグに溺れたこともあるというから、実はとても弱いところがあり、ひょっとしたら、あれは無理をして作った笑顔(外目からはとてもそうは思えないが)だったのだろうか? その笑顔さえ浮かべられなくなる前に、自分でピリオドを打ったのだろうか、などと、その死が惜しいあまり失礼な想像もしてしまう。