我々に一番欠けているものを、最も多く持っている人達

「日本は先進国の中で、イスラム世界で特段信頼が篤い」と言われた時代も一昔前のことになってしまったのではないか?
日本がイラク開戦を真っ先に支持し、自衛隊を派遣したことで、イスラム世界の民衆にまで(つまり過激派のみならず)日本への不信感が持たれ始めたのが既に10年以上前のこと。あの数年後、原理主義者が「今後日本も標的に加える」と声明を出した。
そして今回の、「アラビア半島の対岸ジブチ自衛隊の拠点を築く」との発表。積極的「平和」主義や海賊対策など口実で、対米配慮が目的であることは、言うまでもなく見透かされている。
私は、世界中のムスリムに日本が貢献できることがもしあるとすれば、彼らが目指す「欧米モデルに倣う発展と違う、別の近代化への志向」や、聖書的価値と異なる価値観や聖俗観といったものへの理解からスタートして共に模索する方向以外にないし、それが可能ならば、実にミレニアム規模での歴史への貢献にもなり得ると思う。文化の多様性に資するところ計り知れないものがあろうからだ。
しかし残念ながらそれだけの大スケールの構想力を安倍晋三が持ち合わせていないことだけは確か。安倍に限らず、「欧米に追いつき追い越せ」を基層において引きずっている日本が最も真剣に考えてこなかった分野だ。ムスリムの一般人が目指す方向は、世界が○○一辺倒に傾こうとする時(この場では、○○に当てはまるのは「欧米化」だが、他の何がそこに入ろうと)、異を唱えることの重要さと必要な勇気を日本人に思い出させてくれる、もう一つの誘導灯ではないか?
イスラムとともに模索するなんてとてもとても、というのなら、今はせめて彼らの中の急進派を刺激しないことが次善の安全保障策ではないか? したがって、フランスの新聞のような、弱者への差別を助長しかねないシモネタマンガを「風刺」の美名で発信し続けるメディアをきっちり批判する位は、情報消費者としての最低限の努めだと思う。