カルテットがまぶしい

 中東民主化革命の口火を切ったチュニジアで、イスラムの教義に則った政治を目指す勢力と、政教分離を掲げる勢力とを歩み寄らせた「国民対話カルテット」のノーベル平和賞受賞は誠にこの賞にふさわしいものと思う。9年前に同賞を受けたグラミン銀行の活動意義に似て、正しい意味での「積極的平和主義」への普遍的なモデルを示したからだ。
 この枠組みを構成する、労組・経営者団体・人権擁護団体・弁護士会の各会員の中には、宗教に基く政治を望む人もいれば、世俗派もいるだろう。しかし、そういう意見の違いを越え、“与野党が衝突して議会が議会の体をなさない現状だけは何とかしたい、まして内戦突入などは許さない”という一点で異質な組織が連帯した。シリア、リビア、イエメン、エジプトの国民は羨ましがっているのではなかろうか。
 私もチュニジア国民が羨ましい。総連・経団連・人権NGO日弁連が共同で「集団的自衛権行使賛成派も反対派も、噛み合った議論を経ずに結論を出すことだけは許さん」と国会を叱っていれば、あそこまで曖昧な概念だらけの欠陥法が出来上がっていただろうか? 日本の場合、仮にそういう話が持ち上がっても足波を揃えそうにない団体が1つある。チュニジアになぞらえることで憲法と国民無視の政治を誰が支えているのか、にも気づく。
 カルテットのような枠組が人類の共有手法になっていくかどうか? 日本国民に、多様な政治参加方法を生み出そうとする熱意があるかどうか、も試されているのだと思う。