インドネシア旅行'08−ジャワ原人博物館

名曲「ブンガワン・ソロ」にも歌われ、「ソロ」の愛称で知られるスラカルタ市。その郊外にあるサンギラン村は、化石人類の里として、世界的に有名だ。ジャワ原人博物館なんてのもある。
一帯は化石が極めて多く出土するところで、やはり世界文化遺産に登録されている。もっとも、付近の景観はインドネシアのどこにもある平凡なもので、数十万年前の人類の祖先が今もたくさん眠っている場所であるとは、そう知らねば分からない。
ジャワ原人ピテカントロプス・エレクトゥスの一種で、最初の発掘はオランダ人の手になる。
上記の博物館は、貴重な原人の頭骨・石器などが展示され、社会見学で来ているとおぼしき児童らの観覧で賑わっていた。
そして、ここはまた、恐竜の化石の多い所でもある。この博物館にも、人類の骨が並べられたケースのすぐ隣に、ステゴドンだかマストドンだかの巨大な牙が展示室1つのほとんど全スペースを占領して横たえられている。こいつらの腕の関節の骨のひと節が、人の頭蓋骨とほぼ同じ大きさだ。
この地が化石の宝庫である以上、原人と棲息時期の重なる巨大爬虫類の化石も出土したといって不思議はないのだが、訪問前の予備知識として恐竜骨の出土のことを知らなかった私は、原人と恐竜が1つの部屋で並べられているのを見た瞬間、違和感を持った。大きい博物館なら、自然史コーナー、考古コーナー、とか展示を分けるところだ。全部で4室ほどのかわいい博物館であるゆえ仕方なく隣あわせにしたのだろうが、これが却って想像をかきたてた。

武器としては、石器(といっても、ナイフ状にエッジをしつらえる知恵はまだない。石つぶて)程度しか持たなかった原人は、どれだけ、逃げ遅れた仲間や家族が恐竜に踏み潰されて死ぬのを見ただろう。何世代かかってもカタキは討ってやる、それには「道具」を進化させるしかない、そう誓ったのではないか。
その、道具を改良していく「知恵」に気づいたのは、遠い猿人時代。アフリカ東部の地形の大きな変化のため、森という棲家を失った高等霊長類が、サバンナに裸で放り出された。腕力では猛獣たちに勝ち目はない、逃げ足では草食動物に劣る、敵の接近を早く知ることにおいてさえウサギやキリンに負ける。パスカルの言葉を借りれば、「宇宙で最も弱い存在」であることを思い知ったとき、チンパンジーなどが餌をとるのに木の枝を使うなど、「道具」を使っているのを見た。それをまねしてみて、あらゆる行為のうち、道具をつかうことだけは自分たちのほうが「先輩」より上手にできた。この経験が全ての始まりなのではないか。
実は、類人猿(チンパンジー、オランウータン、ゴリラ、ボノボ、テナガザルのたぐい)の中でも、人間の影響のない自由遊動下の自然状態でも明らかに道具使用能力が観察されるのは、チンパンジーだけだという。(ウィリアム・C・マックグルー『文化の起源をさぐる』中山書店1996)
人類の道具使用が、DNAレベルで決定された本能によるのか、獲得によるのかは知らないが、もし、岸田秀教授の言う「人類は本能の壊れた生物」というのが正しいなら、チンパンジーという道具使用の師匠が、やはり東アフリカに棲息していたことが幸いだったとみるしかない。
さらにいえば、チンパンジーのいない所(東アフリカ以外)でも、大脳皮質辺縁系が異様に発達した生物が生まれるような環境激変は起こったのだろうが、「師匠」が近くにいてくれなかった彼らは、その大きな脳をどう駆使していいか気づかず、厳しい自然の中で絶滅したとは考えられないだろうか。
生物学のど素人は、原人の骨と、何メートルもある牙とを見比べながら、そんな想像、というより妄想を持った。だが、“人類が自分たちの無力さを痛感したときこそ、本当に知恵を磨いてこられた”というテーゼは間違いなかろうと思っている。