文豪の記した昭和初期のロシア
正宗白鳥という作家は今ではあまり知られていないようだが明治から昭和にかけて活躍した作家である。
私は、彼の初期の小説『何処へ』を二十歳代のころ読んだきりで、それもさほど印象に残っていなかったのだが、ついこの間、彼の書いた旅行記を図書館で見つけた。
『東京朝日新聞』昭和12年3月26〜28日に連載されたもの。1936(昭和11)に、
ソビエト→西ヨーロッパ→北米
という、北半球を一周する7ヵ月の大旅行に出た折の記録文である。
その文章で、共産革命成って十数年の、若い国ソ連を見て記した以下のような一節がある。
シベリア沿線では、停車場毎に、婆さんや子供が見窄(すぼ)らしい服装(なり)で、大抵は裸足で、
牛乳や草花や、簡単な農民芸術品を売りに来る。
旅人は退屈さましのために、或は憐憫の情からそれ等を買いたい気持になるのだが強請的に両替さされ
た貨幣価値があまりに高いために、購買慾が止められてしまうのだ。(中略)何も売れないですごすご
と帰っていく物売りの姿は我々の目にもいたいたしく見えた。
これで思い出したのは、8年前にビルマを旅行したとき強制的に使わされた、軍政発行の外国人専用通貨(FEC)である。その当時は、ラングーンの空港へ着いた旅行者は、強制的に、一人あたま200米ドルを、その「特殊通貨」に両替させられた。ビルマの本来の通貨チャットは屋台や簡易食堂など限られた場面でしか使うことがなく、観光地の入場料や宿泊費、レストランでの食事など、旅行者が立ち寄るようなところではこの特別の通貨で支払う。FECからチャットに両替するのは可能だが、FEC→米ドルの不可。
つまりどんなに短い滞在でも、少なくとも200ドルの外貨を落としていくように図った仕組みで、共産圏の国がかつて導入していたアイデアだったのだな、と白鳥のこの文を読んで、わかった。
もちろん、今のロシアにこんな強制はない。
なお、ビルマでもあまりの評判の悪さに、この強制両替通貨はすでに廃止されたようだが、代わりに、というか、廃止後は外国人料金制度が広がってしまったと聞く。
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別のもう一節
強制労働によって急速に出来上がったという地下鉄道にも、二三度乗って見たが、そこには大理石の
丸柱が惜気もなく用いられてあった。案内者の説明によると、帝政時代の豪壮な寺院を破壊して利用
したのだそうだが、欧洲のうちでも特に、宗教盲信の強いロシアとしては、随分思い切った所行である。
(中略)
フランス革命の時に既成宗教を打破して、道理の神を担(かつぎ)上げたりしたが、そんなこと
は長続きしないで、御信神は元の杢阿弥にかえった。ロシアの大衆は基督をレニンに代えて満足する
であろうか。
( )内の読み仮名は引用者
こちらは、大理石を使った地下駅構内を見ての痛烈な皮肉である。となると、どうしても連想してしまうのは、ピョンヤンの地下鉄。私は北朝鮮に行った事はないが、訪問した人の手記や紀行に、必ずと言ってよいくらい記述される、贅沢な構造物は有名だ。
北のあの大理石ステーションも、旧ソ連が悪しき手本になっていたのだな、と納得。造った手段のほうも、「強制労働によって」を倣っていたかどうかは、知らない。