『凍』

沢木耕太郎著『凍』を読了。
初出誌に発表されたのは2005年だが、去年、改題されて新潮文庫化。

本の残りページがだんだん少なくなっていくことが惜しい、と感じながら読んだ。読書をしていて、この感じを持つのは本当に久しぶりだった。
『テロルの決算』も『無名』もよかったが、ここまで面白く読んだのは、『深夜特急』以来、十数年ぶりではないかと思う。


『凍』は、ヒマラヤで15番目に高いギャチュンカン峰を目指した登山家夫婦の記録である。
夫の山野井泰史は、「8千メートル級の山をバリエーションルートでアルパインスタイルのソロ登頂」に成功した、日本人では初記録(世界でも4番目)の保持者。妻の妙子も「8千メートル級の山をバリエーションルートで無酸素登頂した世界初の女性ペア」の一人である。
猛吹雪の中、夫の泰史のみ頂上を踏むが、途中で二人とも重度の凍傷を負い、瀕死といってよい状態で生還。手足の指のほとんどを切断することになるが、「朝日スポーツ賞」と「植村直己賞」を受賞。現在も未踏の壁にクライムし続けている。

空気が平地の3分の1しかなく、零下30〜40度という、普通、人が5日と生きていられないとされてきた世界では、寒さで目の玉も凍りつき、盲目状態となる。そんな高地で6日を越えて死闘を繰り広げる。食糧もほとんどなく、なけなしの食べ物も妻は体調不良でことごとく吐いてしまう。もちろん酸素ボンベなどという「醜悪」なものも背負わない。下山中、雪崩に襲われ、妻が50メートル以上落下し、二人ともゴーグルや手袋も弾き飛ばされる。「過酷」などという形容では追いつかない苦行のすさまじさにも驚くが、それ以上に、いかなる肉体的苦境に陥っても、二人が決して相手への信頼を失わないことにも、驚嘆を禁じえない。

そしてまた、夫婦とその親御さんたちとの会話の詳細さ、あるいは、標高7千メートルにおける垂直な壁でのフォーストビバークの最中小便をそのまま垂れ流さざるを得ないといったくだりなど、よくここまで全てありのままを、赤の他人のノンフィクションライターにうち明けられるものだな、と、そのことにも驚く。

山野井夫妻はその2年後、「肢体不自由」の認定者となった身体で、山中に残してきていた「ごみ」を回収するため、ギャチュンカンの5500メートル付近まで再訪する。その再訪には、ある年上の男性がベースキャンプまで同行した、とだけ本文に書かれているのだが、巻末の「解説」(池澤夏樹執筆)を読んで、読者は、その男性が作者・沢木本人だと知る。
作者は、全く登山経験がないにもかかわらず、ヒマラヤへの道連れとなることができるまでに、登山家夫婦と付き合いを深め信頼を得たのだ。山野井夫婦が、自分たちだけが経験し知っていることを、著者に細大漏らさず伝え尽す気持ちになったのには、文章に記されざる長い信頼醸成がまずあったに違いない。まるで作家が同伴して頂上まで登攀したかのようなリアルさに驚かされたことの、種明かしの役を、この「解説」が果たしているとも言えるのである。