私とケータイ

先日、ケータイを落とした。
その日通った道をなぞってみたり、遠隔操作でキーを無効にしたり、相当冷や汗をかいたが、心当たりに問い合わせたら拾得届がでていて、事なきを得た。
実害はゼロだったが、ケータイというわずか100グラムほどの箱への情報集中度と、そのリスクを痛感した。
車が脚の延長としての道具であり、コンタクトが眼球の延長だとすると、ケータイはもはや脳の延長だろう。よく指摘されるように、遠くの人と音声をやりとりする機能は、だんだん比重が薄れていく。
ことに弱ったことになったなと思ったのが、知人の連絡先と、スケジュールだ。昔なら、よく電話する相手の電話番号・住所は暗記していたものだが、ひとつも頭に入っていないことに気づいた。また、スケジュールも、大事な約束は紙のメモなどにバックアップをとるようにしているが、それを怠っている事案もあった。
これが、モバイルパソコンを失くすとなると、もっと脳の大きな部分を失ったような深刻な事態になりかねないだろうが、まあ、パソコンを置き忘れる可能性は、ケータイに比べれば小さい。故障に備えてバックアップをとるのも前提にして使っている。
利器の中で「失くしたときに困る度合い×失くしやすさ」の“積”をいうなら、ケータイがトップに来るのではないだろうか。しかもその機能はますます増殖し、逆にサイズはますます薄く軽量化しすなわち落としやすくなっていく。
今回、自分でも全く気づかず、どうやってケースからこぼれたのかもわからず、なくなっていた。
「いつも、そばにいるか気に留めて、もっと大事に扱ってくれないと、この次も届けてもらえる保証なんか全然ないのよ。出てこなければ買い換えればいいや、では済まされないんだからね」とケータイが警告を発してくれたのだと思う。