外国語学習法 #4

国語学習において成否を握るカギの1つに、「理解→表現」へのスイッチングとでもいうべきプロセスがある。

教材の本文でも、ドリルでもよい。ネイティブの先生の言ったことでも、ドラマの台詞でもよい。現地のバスターミナルの掲示板の「乗客の皆様へのお知らせ」のようなものでもよい。
それらから、使える表現を盗むことだ。内容を理解できればそれで終わり、ドリルが正解できていれば満足、ではなく、その中から、〈自分は使えるべきときにこの言い回しを何も見ずに思い出せるだろうか〉という目で見直し、有用なものを記憶し、時至れば使ってみることだ。

国語学習と、赤ん坊が母語を習得するのは、当然のことながら、方法が同一ではない。外国語教材の「赤ちゃんはこうして言葉をしゃべれるようになりますから、それを踏まえて開発された当社のこの教材なら外国語力向上に画期的な効果があります」などというコピー文句は90%、眉唾物と思ってよい。
しかし、同一でない、ということはイコール共通点が無いということを意味しない。そして、上に述べた「理解した言葉から、自分が使うことになりそうな文句を憶え、使ってみて、通じたら定着させる」という方法は、外国語でも自国語でも、共通に使っている方略の1つであるに違いない。
ただ、ノーム・チョムスキーに言われるのでもなく、赤ん坊は、人類に与えられた脳内プログラムで、方略自体は誰からも教わらずに最低1つの言語をマスターし、一生、それを母語と認識するのに対し、外国語の場合は、自覚的に「理解→表現」を行わなければならない点が異なるわけだ。
そして自分は、中学くらいから、英語を自然とそういう仕方で学んでいたせいか、外国語学習者なら誰でも頭の中でやっているプロセスだと思っていたが、どうもそういう人は多くないらしいことに、つい最近気づいた。
多くの学習者は「読む」のと「作文」は、ばらばらのものだと思っている、いや、教師側が思わせてしまっているのかもしれない。
自分の教室でも、上記の「自覚」を促す工夫がもっと必要なようだ。