チュニジアの革命はリーダー無き革命か?――情報化と、リーダーシップの純化――

世界の注目を集める「ジャスミン革命」。ベン・アリが国を追われ、17日暫定政権が出来た。
この現象を“リーダー無き市民革命”と評する向きがあるが、賛成できない。理由は以下のとおり:
社会学では、「リーダーシップの本質」を、例えば
「成員の自発性を刺激することによって機能するもの。「支配」や「ヘッドシップ」がその反意語」(大橋幸)
と説明したり、
「機能の遂行によってフォローワーの自発的行動を期待する点で支配と異なる」(飯田良明)
などと捉える。

であれば、北アフリカで今大きな潮流となっているのは、まさに、(パワーによる)支配でなく、主張の持つ説得力と、それへの自発的で大規模な同調のみに突き動かされた、何ものかではないのか。
「リーダー」という語の意味を、顔やプロフィールがよく知られた特定の人物に限るという定義でもあるなら別だが、もちろんそんな限定は無い。いや、古典的「リーダー」の中にだって、わざと常に覆面姿で登場したり、本人の居場所や素性を一切公けにしないことを戦略として採っているパターンもあるくらいだ。
私の目には「リーダー無き」どころか、ネット時代を反映した、むしろ純粋なリーダーシップ(つまり、ある特定の人格のカリスマ性や、高名であることに頼らない)による市民革命として現出しつつあるように思えてならない。
「匿名性」は、それに批判や反論を加えたい人にもハードルが低いゆえに、反論の余地がないと多くの人が判断した場合、予想を超えて大きな力を持ち得るものなのだ、と気づくべきだろう。