出没あいつぐ仮面のチャリティたち

かつて大塚英志が、90年代ごろからの新しい消費傾向として「チャリティ消費」という概念を提唱した。高度成長時代には機能重視の消費、バブル時代にはブランド消費、と各時代に特徴的な消費トレンドがあり、これに続くものという文脈で提唱されたのだが、エコポイントに象徴されるように、現在も拡大しつつ継続している流れである。
その一方で、「この電化製品や車を買うことが地球のためになる」といったコピー文句のウソ臭さに商業主義を感じ取る人もいて不思議ではないだろう。


自称「伊達直人」が福祉施設にプレゼントを置いて立ち去るということが続いているとのことだが、この現象も「チャリティ消費」に飽き足りない人々が、消費としての擬似チャリティよりは純粋なものを追究して考案されたものと思える。
タイガーマスク』に憧れた世代となれば、今や社会の中枢にいて、そこそこ金銭的余裕もある人たちが多いはずだ。
少子化の進行の中で、子供を大事に、と言いながら、子ども手当てをどんな金持ちにもばら撒くといったように、ちぐはぐな政策しか打ち出せない政府に代わって何かしたい」そう思ったのではないか。言うところの「エコグッズ」(書いていて鳥肌が立つ言葉だが)を買う金があれば、本当に必要としている人のために使いたい、と。

チャリティの品としてランドセルを思いつき、そして伊達直人を名乗った第一号の人は、よく考えていると思う。
下記のWikipedia英語版の「Randoseru」の項目がいみじくも記述しているように、単に学用品や教材を運ぶためのカバンという以上の意味を持った象徴性に富む品だからだ。

The ''randoseru'' is the most universal and recognizable feature of the Japanese school uniform, and is considered symbolic of the virtues necessary to obtain a good education,unity, discipline, hard work and dedication.

しかし、その追随者が次々現れるようになると、これが一過性のものに終わるのでは、と危惧する声がメディア上でも目立ち始めた。
恵まれない人への自立支援は継続的でなければならないという、その趣旨は正しいけれども、かといって、継続性を担保するため、組織的に、すなわちNPOや公立施設に任せると、どうしても予算の関係で、衣食住を基盤とした最低限の生存を保証するものに重きをおきがちだ。その点ランドセルは、ぜいたく品とまでは言えないが、最長でも6年間でお払い箱になる物としては結構高いし、また「進学おめでとう」という御祝儀の意味をこめることができて、受け取る子供の心に響くのでは、というのが初代伊達が考えたことだろう。
寄付とは、余裕があるときに余裕の範囲で行えばいいと思う。よしんば1回限りに終わっても、それはそれで意義のないことではない。それを批判する暇があるなら、寄付を絶やさぬよう、自分もあとに続けばよいのではないか。あるいは来年の今頃、また「伊達直人2012」などと名乗って火をともし続ければいいのではないか。

また、「やるなら匿名でなく、名前を名乗るべきだ」という批判もあるが、もし仮に本名を名乗っていたら、こんなに大きく取り上げられてはいまい。“美談”をほしがるマスコミを飛びつかせるため、そして、追随者を生むための戦略としてヒーロー名義が活用されたのではないかとも推察している。