日本語の中の絶対敬語

京都の某放送局の、11年3月12日放送分の番組に出演した人物が、インタビューで、
「当社の社長が、より多くの方に喜んで頂きたいと、ジオラマを開設されました。」と言っていた。
その発言者は、嵯峨野トロッコ列車を運営する会社の社員で、「社長」というのはもちろん自分の会社のCEOということになる。いくら経営最高責任者であれ、普段は最上級の敬語で会話する相手であれ、伝統的な日本語の敬語規範では、こういう場合、CEOも「身内」の範疇にあると判定し、
「……ジオラマを開設しました。」
と言わなければならない、とされる。(「致しました」ならさらに望ましい)
これを「相対敬語」と言う。

これがもし、韓国の放送局での話ならば、韓国の敬語は絶対敬語システムが基本であるから、上記のセリフを逐語訳した韓国語に何の違和感もないはずだ。もちろん、会社のような擬似家族でなく、本当の家族についても、「私のおじい様が、お酒をお召し上がり、『うまい』とおっしゃいました」式の敬語を使う。その際の聞き手が、話し手の上司であれ 教授であれ関係ない。

ところが、最近は 私の身近でも、上記の社員のように、上役について、社外の相手を聞き手として話すときに、絶対敬語的に、その上役を持ち上げて話す者が珍しくない。
私の住む市の 市役所の受付の女性(そう若くない)が、
「少しお待ちください。間もなく、○課長に来て頂きますので」
と言ったことがある。課長を待っている間ヒマなので、おかしいと思わないかと糾してみたが、何のことか全く飲み込めないようだった。受付を担当しているくらいだから当然、一定の接客研修を受けたと言っていたが、「そういえば、そんなことを習いました」というふうでは全然なかった。

確かに、言葉遣いの使い分け(スイッチング)としては、相対敬語のほうが煩わしいだろう。煩わしいルールは簡略化されることが多いのは事実だから、今後世代が下がるにつれて、日本も、ますます韓国語式の敬語に近づいていくのだろうか?