笑顔のもと

先週のお題「大震災」の次の週のお題として、このテーマ。出題された方の意図は、被災地のかたがたが再び笑顔を取り戻すにはどういう条件が必要か、についてアイデアを求めるところにあるのかな、と思える。しかし、ここではあえて一旦そこを離れ、一般論として、笑顔の本質を考察してみたい。
「笑顔のもと」であって「笑いのもと」ではないところがミソだろう。笑いの本質や条件については、古来、多くの哲学者やモラリストが考察を加えてきたが、多分そういう本質論では、この「お題」への答かとしてはややズレそうだ。

我々は例えば浮世の義理で、あるいは相手を心配させないために、作り笑いを浮かべて見せることがあるが、「目が笑ってない」という言い回しがあるように、無理な笑いは容易に見破られる。そして、それを「笑顔」とは呼ばない。
逆に、心から愉快なことが起きても、それが一人きりの時だと、笑い声ならこぼしても、それを「笑顔」とは言いにくそうだ。それは、誰も目撃していないから、というよりも、「笑顔」という語に何かしら他者のまなざしを前提としている部分があるからではないだろうか。
つまり、(1)本人の深い満足や幸福感、または誰かへの好意と、(2)それらの感情を表出することを受け入れ共感してくれると信じられる誰かが時空を共にしてくれていること、この2条件が揃う時、自ずと笑顔は生じるのだ。
内面の充実と、他者との良き関係−−−このどちらを欠いても、浮かぶものは「笑顔」とは似て非なるものになる、と思うのだが。