イスラム武装勢力に日本人が殺されないためには

アルジェリア人質事件で殺された10名の方々とご遺族への哀悼の気持ちは、国民が等しく共有しているものと思う。私もまず心からお悔やみを述べたい。また、安倍晋三が「海外の第一線で活躍する企業・邦人の安全を守るための対策」が必要と言明したことにも、それ自体は反対する理由はない。
しかし、その具体策が自衛隊による保護・救出とは随分な飛躍ではないか? 自民党内にさえ、「悲劇への便乗」だとする声が大きくて、今のところ安倍も「事件を利用して自衛隊法を改正するつもりはない」と言わざるを得ないでいる。
だが、便乗だ、焼け太りだ、といった批判では、早晩

「いいえ。事件を反省し、尊い犠牲を無駄にしないために制度を整えるのです」

といった論法で言いくるめられてしまわないだろうか。逆説的に言えば、対策の方向が正しければ「便乗」でも何でも構わないのだ。そこを検討しよう。
自衛隊は、しばしば批判されるように、本国への「脅威」と彼らが考える事態に対処するための情報すら、収集に遅れたり失敗したりが(それこそが「本務」であるはずなのに)多い。また、幸い(と言ってよいと思うが)、実戦経験もない。
その自衛隊が、今回の如き事態に際して、発生地の当局が強行突入しようとしているのを抑え、「日本が人質を救出し、犯人も殲滅または拘束できる」と請け合って、ゲリラのような集団を相手に、乗り出していけるのか? いかに重武装テロだろうと、あくまで国内犯罪であって、テロとの「戦争」というのは比喩に過ぎない。国内犯罪に、外国の軍隊ないしそれに同等のものが出動するのは、極めて限られた場合だけだろう。現に、米英も軍を派遣する用意はあったが、アルジェリア入りはできなかったのである。「救出」など、自衛隊の本分をも能力をも超えているのではないか。安倍が、いくら気張っても、お題目だけの「改正」に終る可能性が大きい。


もう一つ気になるのは、「安全を守るべき企業・邦人」の範囲だ。今回の報道で、しつこい程「ガス田開発で、重要なエネルギー政策の一翼を担っていた企業人の犠牲」と強調されたが、国策会社だから税金で手厚く守れ、という論理なのか? 危地に赴くジャーナリストも、我々の知る権利という大切な国益のために「第一線で」仕事していると思うが、同様に「守る」のか。個人のライターや写真家の場合はどうなのか。
そのあたりを詰めずに、この事件の悲惨さに目を奪われ、自衛隊の海外活躍の範囲を広げてしまっては、邦人の安全確保にはほとんど役に立たず、そのくせ同盟国の戦争につき合う道は今以上に広げる――そんな結果だけが残るのは目に見えている。
このようなことからも、また、今回の犯行グループが意図的に日本人を狙ったとされることからも、政府がとるべき行動は、テロを起こそうという大義そのものをなくすことだと考える。
「日本は、アメリカや一部のヨーロッパの国のようにイスラムと対立せず、その価値観を認める。」「10年前にブッシュが大量破壊兵器の存在を理由に仕掛けたイラク戦争を、支持したのは間違いだった」と認め謝罪すること。まず、最低限この2点を世界に宣言してはどうか。
そうして、「先進国の中で、日本はイスラムへの偏見や敵意が少ない」とのかつて一般的だった評価を再び取り戻すのだ。イラク戦争を強行した共和党アメリカの政権から外れ、オバマが2期目に入って比較的自分の信念を打ち出し易い今が、めったにない機会ではないだろうか?

テロは許されない。が、暴力を先に仕掛けた側はその何十倍も罪が深い。それを援護した者も共同正犯である。少なくとも、喧嘩を売られた方はそう思っているに違いない。