念願のトルコ>ハーレム

今回のトルコツアー最後の観光地はトプカプ宮殿。見どころは宝物殿とハーレムである。
ハーレムを、広辞苑は「意味2:イスラム王宮の後宮」とそっけなく語釈する。新明解がこの語を載せてないのは残念で、もし載せていれば新明さんのことだから、この語の周辺にまつわる意味を大げさめに取り込んだ語釈で感心させてくれたろうが…。『日本国語大辞典』は「転じて、一人の男性が、愛欲の対象となる多くの女性を侍らせた所」という転義も掲げていて、我々は「ハーレム」をこの意味で使っている。酒池肉林の男の楽園のイメージ、ひいては退廃的な快楽主義を含意させて。
英和辞典にも(社長は3人の女秘書を使っている)おどけた用法が載っていることもあるので、このイメージは日本人だけのものではないだろう。
ところがイスタンブールで本場のHaremを見学してみて、そういう既成イメージを大いに修正した。
「The Harem」とプレートのかかる建物を入って3番目の空間が、COURTYARD and DORMITORIES of HAREM EUNUCHS、つまり宦官の宿舎。宦官は、トルコではメフメドというスルタンが導入し衛視兼世話係として用いたという。中国・韓国の歴史でもおなじみなので、日本人は「ほぉ、トルコにもあったのか」と思う程度だが、欧米人らしき観光客はこの部屋を解説した文を読んで、“Hum,Eunucs!!”と、さも穢らわしい内容の解説を読まされたぜ、とでも言いたげに吐き捨てて行く。
長い建物に囲まれた、中国でいう四合院に似た造りのCOURTYARD of QUEEN MOTHERがある。スルタン家の全員家族が揃う唯一の場所がここだという。QUEEN MOTHERとは「女王の母親」にあらず、「王を生んだ母親」の意味。トルコ語ではヴァーリデ・スルタンといい、「母后」とも訳す。日本式に言えば「皇太后」に相当する。
王の母はハーレムで隠然たる力を持ち、帝国の政治にも影響力を行使する。特にスルタンのwivesとその間に出来た子の関係性に強く口出しするのだ、といったような説明が示されている。wivesと複数で書かれているのは、言うまでもなくイスラム世界が一夫多妻制だからである。これが、ハーレム=男の楽園観の成立に強く作用したに違いないが、そのwives以外にも、「favoritesの間(ま)」と呼ばれる場所がある。favoritesとはスルタンの愛妾のことだろう。集められた美女のうち、スルタンの目にとまった女が子供を宿すと、カドゥネフェンディと呼ばれるようになるらしい。このトルコ語を、英語版解説はスルタンの公的配偶者(official consort)としている。つまり、妃(きさき)扱いされるようになるという意味合いであろう。
ここまで展示を進んできた私は「ははぁ」と膝を打った。なんだ!ハーレムって、歴史ドラマで描かれる宮廷の お世継ぎ確保のシステムと変わらないじゃないか、と。
平安貴族も女御・更衣を置いていたし、大奥だって正室と側室を一つ屋根の下に住まわせ、男性立ち入り禁止の空間だった。朝鮮時代の宮廷も同様で、王の寵愛を受けて妊娠した女官は、その日から「スグォンママ〔〕」と、高位の人物に付く称号で呼ばれるようになるのともそっくりだ。
国を代表するほどの美人がうようよいる空間だから、あるじ以外の男が手を出すことを防ぐため、男性の宮廷スタッフは宦官に限る必要もあったのも容易に理解できる。
太后が権勢を奮ったことも、我々には全く意外性のないことだ。
確かに、スルタンよりずっと身分の低い男でも一夫多妻が許されるイスラム独自の要素もあったかもしれないが、一夫一婦の文化で羽振りのいい男が 外に内緒で二号を囲うのと、複数の妻を皆平等に扱う条件で一カ所に住まわせるのと、どちらが「退廃的」か、判断は難しい。

ハーレムは、他の文化圏にみられるものからかけ離れた「男の楽園」というわけではなかったのだ。勉強になった。