東アジア反目時代に区切りを

まもなく、(27日)朝鮮戦争休戦協定から丸60年。韓国版“戦争を知らない子どもたち”が還暦を迎える時代が来る。
1953年7月はまた、日本政府が、“竹島をなぜ日本領だと考えるか”についての国際法上ならびに歴史的な根拠を、韓国側に初めて明確に示した月でもあった。竹島(독도)を巡る主張の応酬が本格化するのも60年前の今月なのだ。
半島の、血で血を洗う殺戮が曲がりなりにも収まったら、それと入れ替るように日韓の間の大きなトゲがうずきだした。それが60年を経て、「未来志向でいこう」が単なるお題目と化してしまった現況の、大きな一因となっているのは周知の通り。
中近東をはじめ、各地の紛争や内戦に宗教が影を落としているのを、我々日本人は、時には「愚かな事を」という覚めた目で見てきた。「神」が絡む争いには超然としていられた世俗的民族たる我々も、実体として海に浮かぶ陸地の帰属に関しては、こんなにも激するのだ、という事実と、それは真に国の誇りや民族の同一性を賭けて争うべき優先事項なのか、を還暦らしく原点から見つめ直す7月にできないものか?
人間の60歳はまだまだ若いが、そろそろ第2の人生のあり方を考える齢だろう。東アジア構成国も過ぎた60年の相互無理解と葛藤に区切りをつけ、課題の軽重に対するバランス感覚の優れた熟年を目指す機会になればと思う。