“物語性を売る”ことについて

浅田真央選手と、その十八番・トリプルアクセルを、朝日新聞のオピニオン欄で論じた増田明美(今はスポーツジャーナリスト)と末國善己(文芸評論家)が、申し合わせたかのように、彼女を宮本武蔵に喩えていたのが興味深かった。勿論、別々にインタビューしたものなので偶然の結果である。
増田さんは、金妍児にもできない最難度の技に挑む姿を武蔵の孤高にダブらせた。末國氏は、「技」と、それをいかなる努力の末に身につけたかの「物語」の2つがセットになって初めて日本人は感動する と分析した。
この分析の枠で考えると、「技」と「物語」を2人の人が分担していながら、1人でやっているフリをしたのが佐倉河内氏ということになる。聴覚障害が治っていたかどうかは調査中ゆえひとまず措くとしてもなお、やはりあれは、付加価値詐欺と呼ぶべき醜聞だった。もう批判も出尽くした今になって改めてこんなことを言う理由は、報道機関の社員の言葉として「我々マスコミが物語性を過剰に煽った面もある」という“反省”があちこちで見られるからだ。その謙虚さは買うが、私はそういう反省の必要は無いと思っている。
耳が聞こえなくて生活だけでも不自由だろうに、あんな名曲をすごいなぁ、と作品の芸術性にプラスして評価するのは何も反省することではないし、日本人特有のものではない一定の普遍性を持つ感覚だと思うがいかがだろうか?