白いままの紙切れを箱に入れるために投票所へ足を運ぶ人たちの気持ち

昨日行われた大阪市長選のような場合、もし自分が大阪市民だったらどういう行動をとるべきか考えた。
今までなら、投票所には行き「候補者の中に適格者ナシ」と書いて箱に入れるのを正解と考えていたと思う。しかし何か文字が書いてあると、主権者としての考えを表した内容であっても、候補者でない人名を書いた票や、「アホ」などと書いた票と、同一扱いされてしまうのがジレンマだった。
今回、わずか23.59%の投票率の中、そのうち約14%(67506)を占める無効票のうち3分の2の45098人が白紙だった。あえて棄権せず白紙を投じるのも捨てたものではないかもしれないが、客観的に見れば、橋下徹を資しただけだという批判も正論だ。
誰にも任せられないと表明した人の行動も、同じことを白紙で示そうとした人の行動も、家で寝ていた人の行動も、結果的に、候補者の名を書いて投票した人のみによる多数決に「白紙」委任するものと見做されてしまう現状を廃し、白紙の意味する思いを何とか選挙結果に反映させる手だてはないものか?
例えば、1位の候補者の票数は必ず白紙の枚数を上回らねばならない――とか。これは、「投票率が、一定の数値を上回らない選挙は無効とすべし」という主張に比べれば、実現性があると思う。もちろん、国政選挙いおいても、同様、もしくはさらに思い切った制度改革を考えることだ。そうでもしないと、「選挙当日はなるべく多くの人が寝ていてほしい」といったたわごとを言って叩かれた保守政治家のごとき「本音」が永遠に、(表面的には口にしなくなっても)消えてなくなる日が来ないだろう。