ピーチ航空、海面異常接近

ピーチの関西―ソウル便を今月末に利用する。最安値で片道4千円はやはり魅力だし、2時間弱のフライトにはなまじっかな機内食も映画も余計だから。
ところが、3月には予約がとれて安心していたのに、先週になって「予約便のうちの帰りの便が飛ばないことになったので、別の便に変更するように」とのメールが。メールでは理由を乗員のやりくりがつかないためとしていたが、昨日の「重大インシデント」の関連報道を見て、具体的には「パイロットの不足」のこととわかり、「ははぁ!」。
ピーチは台湾へ行くとき初めて使ったが、電話での問合せに対するオペレータの答はデタラメだし、その通話料も「自動音声案内に関してはピーチ側が負担する」とホームページに表示しているくせに、電話をかけた利用者に負担させていた(13年10月現在)。わずかな金額であれ厳密には契約違反に相当する、普通の企業には考えにくいお粗末な仕組みであった。なので 個人的に、ピーチ側が謂う「健全な合理化で安い運賃を実現している」というお題目をそのまま信じるわけにはいかないな、という印象を持っていた。
もっとも、そのケースでは、私の苦情申し立てに対してピーチは非を認め、オペレーターのデタラメには再教育を約束し、電話代についてもピーチポイントで補償してくれた(現金で、というこちらの希望は拒絶した)。その際の対応は“誠意に溢れる”とまでは言えないまでも、人をクレーマー扱いするわけでもなくじっくりこちらの主張に耳を傾けてくれたので“まぁ、常識の通じる会社みたいだな”と思い、決着した。
ところで、ゆうべ(30日)の『報道ステーション』によると、世界的にパイロットの人手不足が大問題となる日が遠くないという。今回のインシデントにもこの事が背景にあって、機長がアルゼンチン人であったことから管制官の指示が正しく把握できず、よって降下を始めるのが早すぎてあわや海に突っ込みそうになったのではあるまいか、という推測が述べられていた。それで冒頭の「ははぁ」に結びつくのだが、そうだとすると、この将来予測は“LCCは危ないけど、既存の大手は安全”とは単純に言えないことを意味する。優秀な機長の引き抜き合戦は必ず航空業界全体に及ぶし、大手だから財務体質がしっかりしているとは決して言いきれないのは、一昔前の日航(JAL)を考えれば明らかだろう。
石垣発 那覇行という国内便を、日本人でも英語圏でもない機長が操縦していたことが、「妥当な合理化」の範疇だと言い切れるか、私には判断がつかないし、原因は未解明なので、この機長の英語コミュニケーション力については保留しよう。ただ、ピーチは、インシデント機を社内ルールに反して、運休とせずにすぐ次の便として飛ばしており、むしろこっちを重大視すべきかもしれない。
エアアジア(本拠地マレーシア)などは内規違反どころか、国交省から繰り返し処分を受けている。
LCCを既に利用している人も、様子を見ている人も思いは同じく「安全にかけるお金は節約していませんよという会社の文句は本当か?」という点にあるに違いない。その不安を拭えるかどうか、そうしてLCCが新たな翼として市民権を本格的に得られるかどうかは、今が正念場であることを他ならぬLCC側が一番よくわきまえているはずだ。
ならば、機体をそのまま運航させ、ボイスレコーダを上書きしてしまって、海面接近直前の機長と管制官のやりとりを消し去ったのは、確かに海面接近以上の落ち度だろう。
まさか わざと証拠隠滅を図ったとは思いたくないし(万が一そうなら、航空事業免許を剥奪されてしかるべき背信行為だろう)、そこまで悪質ではなく、単に横着だったのだろうとは思う。だが悪意がなければ仕方ないというわけではもちろんない。
まず、スケジュール通りその機体を次の便で飛ばすぞという判断が誰の責任で決定されたのかが曖昧である点。
そしてそれが誰であれ、その判断は余計まずい事態を生むと、止める制度がなかった点。
そして何より、もし、「LCCでは、経費を抑えるために少ない機体を最大限使い回していますので、原因調査のためとはいえ、おいそれと機体や機械を保存することは出来ないのです」等と言い訳するのであれば、即ち必然的に、“LCCはニアミスが起きても原因究明の有力なデータを今後も提出できないビジネスモデルで運営されている”と宣言しているに等しい、と考えざるを得ない点である。
これは、極論すれば、死傷者のない事故が発生したくらいでは、証拠保全しないので原因究明と再発防止は諦めて下さい、ということにつながっていく理屈だ。トラブルは放置され、貴重な教訓は引き出されず、ひいては「1:30:300」という例のハインリヒの法則どころではない率で、惨事が起きて不思議でない。
そんな企業に誰が命を預けるだろうか?
ひょっとすると、今回の事故はLCCのビジネスモデル(特に経費節約方法の上で)の宿命的欠陥を暗示しているのかもしれない。