逆転のゼネラリスト・赤瀬川原平さん


新聞の訃報を見て、「ああ、あの人の肩書は《前衛芸術家》だったのか」と初めて知った。そして、その肩書一つしかないのか?とちょっと不満に感じた。「作詞家でエッセイスト」とか、「演出家兼俳優」とか、2つの肩書を併記する人物は珍しくないのに、原平さんを1つに押し込めるか!?
南伸坊藤森照信らとともに路上観察学会をつくり、オモロイものを探して歩き、それを報告してくれる、挿絵の入った文章が楽しくて大好きだった。「興がのってくるとほんの何メートルか歩くのに、数分かかることもある」といった記述には笑わせてもらった。
「純粋階段」といった命名が、抜群だった。コピーライターになっても、大成した方ではないかと思う。

また、心身ともにパワーがなくなってくることを「老人力がついてきた」と表現し、アートからは最もほど遠いところにあるような物品を「超芸術」と名付けるなど、原平さんは文化ひっくり返し人間と呼ぶべきで、「前衛芸術家」という名辞は、例えばそういう顔も持っていた、というに過ぎないのではなかろうか?
「サブ」カルチャーの担い手は掃いて捨てるほどいるけれど、そして「カウンター」カルチャーは流行らなくなってしまったけれど、我々が見過ごしているものを反対側から見て、評価しなおす柔らかな脳はそんな反対側が存在したのか!と感心させた。逆転のゼネラリストと呼んで偲びたい。
「閉塞感の時代」と言われて久しいにも関わらず、閉塞感を学問的に研究した本もほとんどない現在、その突破口を、突破するぞと気負うことなく、ゆるっとほどいてくれそうな気がした。実際、「老人力」を読んでほっとした年配の方も多いのではないか。まだまだ仕事をしてほしかったが、致し方ない。

私の父と同年齢での逝去であり、直接の死因も敗血症、と同じである点も、惜しむ気持ちを増幅させる。あの世への階段でも、あっちを観察し、そっちで何か発見し、1度きりの旅路をゆっくり登って、閻魔さんを焦らしてください。