女性器アーティストの再逮捕

ろくでなし子さんの再逮捕は、公判を待つ釈放中に「猥褻物」の頒布を繰り返したから、という要因以上に、警察での取調べの詳細を手記マンガとして週刊誌に連載したことが大要因ではないかと私は推察している。
推察する理由は、
1:手記マンガの中の
「警察が調書に『女性器』と書いたのを、ことごとく(本人の供述通りの)『まんこ』に書き換えさせたら刑事の顔が暗くなっていった」とか、
「100件に1件も認められない難関と聞いていた保釈が認められた時、拍子抜けし、『もっと強い相手と闘いてーよ』と思った」
といった内容が、官憲の面目をつぶしたと判断されたから。
2:最初の逮捕時には「自称芸術家」と報道された彼女が、今回は「漫画家」と肩書きがはっきりした位に、彼女の漫画「作品」が認知された(肩書きのマスコミ報道は、どうせ当局の発表のまま)から(鴻上尚じが、不当逮捕??と批判したことなども、大きく働いたとは思うが)。1人の警察官殺しは多数を無差別に殺す犯行と同じくらい捜査側を躍起にさせると 巷間言われるし、権力への挑戦ととれる言動が当局をムキにさせたと見るのも無理な仮説ではない。

なお、「例えば神事のリアルな男根像は見たくない人の目にも触れるにもかかわらず取り締まられず、欲しいといってわざわざ買いに来る人だけに売るのを取り締まるのはおかしいではないか!?」といった類の意見を述べる者がいる。法曹関係者にもいる。しかし、現在のところ この論は無理があるだろう。
その理屈が通るのなら、例えば一条さゆりは有罪になっていまい。極端な話、「有料にしておけば、お金は払わない人には見れないのだから、特定の人だけを対象としており、お咎めナシ!」という主張が常に成り立ってしまう。
「誰であれ金さえ払えば見たり手に入れられるのなら、それは“不特定多数”の範囲内」というのが、司法当局の見解であって、欲しい人だけが手に入れられるかどうか、は猥褻罪成立を阻却するしないの判断基準と見做されていない。(量刑には考慮されるかもしれないが)
一方、司法のこだわる「通常の人の羞恥心を起こさせるかどうか」というわいせつ基準もまたひどく曖昧であり、表現活動に対する恣意的な弾圧に口実を与えるという憂慮は妥当である。そこへの批判はまた別の問題としていつか論じたい。